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源頼朝は、”鎌倉幕府を開いた鎌倉幕府・初代征夷大将軍”です。
源頼朝は1199年1月13日に53歳で亡くなられました。
源頼朝のお墓は、白旗神社すぐ横の階段を登った所にあります。
お墓は、層塔になっています。
墓の層塔は、1779(安永8)年に島津重豪により”大御堂寺から移されたもの”と言われています。
①法華堂は元々、源頼朝の”持仏堂”(日常的に礼拝する仏像:頼朝が厚く信仰していた観音像を祀っていた場所)でした。
②源頼朝が亡くなられると持仏堂から”法華堂”(霊廟・墳墓堂(納骨堂)である)へと名称が変わって呼ばれるようになりました。
③明治になると廃仏毀釈により、お墓の前にあった法華堂は壊されました。
④その跡に1872年に源頼朝を祭神として白旗神社が建立されました。
源頼朝が亡くなられた原因
源頼朝が御家人の稲毛重成の亡妻の供養に出かけた時、この供養の帰りに落馬してしまいました。
この落馬が原因で亡くなられたと言われています。
”源頼朝”と”北条義時”の墓を合わせて国の指定史跡に指定されています。
(国の指定史跡について知りたい方はココをPUSH)
現在の白旗神社が立つ場所から北側にある石段を登った所に、源頼朝のお墓があります。
そこから東側へ70メートル山を登ると北条義時のお墓があります。
北条義時は、鎌倉幕府の2代・執権です。
源頼朝と北条義時の墓を合わせて国の指定史跡に指定されています。
現在の白旗神社が立つ場所から北側にある石段を登った所に、源頼朝のお墓があります。
そこから東側へ70メートル山を登ると北条義時のお墓があります。