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御利益
勝負、仕事、出世、安産、縁結び
1180年に源頼朝は,今まで源氏の氏神様として祈願していた京都にある”石清水八幡宮の分霊”を、新たに鎌倉の地へ”分霊を移して祀りました。
明治時代、神仏分離により多くの鶴岡八幡宮にある仏堂が撤去されたと言われます。
(神仏分離について知りたい方はココをPUSH)
八幡様の使いである”白い鳩”を境内のあちこちで見ることができます。
また楼門に掲げられた額に書かれている”八の字”をよく見ると”鳩の形”(鳩の向き合う形)をしています。
相模国の”一宮”です。
(一宮について知りたい方はココをPUSH)
国の重要文化財です。
(国の重要文化財について知りたい方はココをPUSH)
鎌倉の中心に位置する鶴岡八幡宮は、強い龍脈の山に3方を囲まれていると言われます。
パワースポットです。
1285年に”覚山尼”(かくさんに:北条時宗の奥さん)が建てたお寺です。
1285年という年は、”覚山尼の夫の北条時宗”(鎌倉幕府第8代執権)が34歳で亡くなった”翌年”だと言われています。
女性から離縁できない時代に、東慶寺には寺勤めをすれば離縁できる「縁切りの寺法」がありました。
そのため「駆け込み寺、縁切り寺」と”600年間”も呼ばれていました。
現在は”男僧のお寺””です。
③「覚山尼像」がいらっしゃいます。
”開山(初めてお寺を開いた僧、初代住持職)です”
④「用堂尼像(ようどうに)」がいらっしゃいます。
”後醍醐天皇の娘、5代寺の長の住職です”
”遥拝所”とは離れた場所にある神仏を拝むために設けられた場所です。
この遥拝所は”由比若宮”といわれる鶴岡八幡宮の発祥元である神社を、鶴岡八幡宮からでも拝むことができるように設けられました。
”鶴岡八幡宮が一番初めに建てられた場所”にある神社です。
そのため、鎌倉と源氏の”始まりの地”とも言えます。
平安時代、源氏の祖先の源頼義(みなもとのよりよし)が、東北の戦に勝利したため、日本三大八幡の一つである京都の石清水八幡宮の分霊(神様)を由比若宮へ分けてもらいました。
その後、源頼朝が由比若宮の分霊(神様)を”今ある鶴岡八幡宮の場所”へと移したため、元鶴岡八幡宮と言われるようになりました。
住所:鎌倉市材木座1-7
鎌倉駅東口から歩いて約15分の所にあります。
御利益
商売繁盛 智慧、財福、戦勝、子孫繁栄、音楽、技芸、弁舌
現在、弁財天は鎌倉国宝館にいらっしゃるそうです。
鎌倉国宝館について調べました
布製の着物を着ている”裸形彫刻の弁財天像”です。
国の重要文化財です。
(国の重要文化財について知りたい方はココをPUSH)
1221年承久の乱の時に、源頼朝が”必勝祈願の出陣の旗揚げ”を旗上弁財天社で行ったと言われています。
そのため北条政子(源頼朝の妻)は、”源氏が勝つことを願って”源平池を造りました。
そして”弁財天社を建てた”と言われています。
1980年に今ある神社は「鶴岡八幡宮創建800年記念」として再建されたものです。
江戸時代の文政年間の古図にならって復元されました。
源平池の右側にある”東の池の中(源氏池)”に、「旗上弁財天社」があります。
かつてⒶ源氏池には源氏の旗の色である白旗のような”白い蓮の花”が、
Ⓑ平家池には平家の旗の色である赤旗のような”赤い蓮の花”が咲いていたそうです。
今は両方の池で”赤や白の蓮の花”を見ることができます。
4月頃に”桜”が咲きます。
また源氏池には藤棚もあり、”紫色の藤”が5月上旬に咲きます。
そして7月中旬から8月くらいに”蓮の花”が咲きます。
祭り (台風や感染病などの恐れのない平常時に行われます)
①祭りは、”弁財天の縁日である巳(み)の日”にあります。
②例大会は、”弁財天の縁日の中でも4月の初巳の日”にあります。
御利益
商売繁盛
鎌倉幕府の”裏鬼門”(うらきもん:南西)に建っています。
裏鬼門は悪い方角とされていたために、源頼朝が幕府を守る意味で七福神の”夷神”を祀ったそうです。
(恵比寿神について知りたい方はココをPUSH)
1981年に夷堂(えびすどう)は、再建されました。
以前の夷堂は明治の神仏分離令によって寺と神社に分けられました。(神仏分離令について知りたい方はココをPUSH)
鎌倉七福神のえびす様がいらっしゃいます。
御利益
海上安全 漁業 諸願成就 商売繁盛 雨乞い 金運 商売繁盛
御利益
火災除け
お寺の言い伝えによると、「お参りすると大きな蔵が建つほど富に恵まれる」と言われています。
御利益
財宝、音楽、芸能、学問
御利益
縁結び、夫婦円満、子宝
”江島鎌倉七福神”です。
”ふくよかなお腹を撫でる”と元気をもらえると言われています。
たくさんの人にお腹を撫でられているため、つるつるのお腹になっています。
御利益
智慧、財福、戦勝、子孫繁栄、音楽、技芸、弁舌
鎌倉時代の名工・”物部国光”でも大鐘(Ⓓ梵鐘)を造るのに2度失敗したそうです。
そのため依頼主の北条貞時が今度こそ成功するように、江ノ島の弁財天へ祈りに行ったところ3度目で成功したと言われています。
そこで祈りが叶ったことに感謝して”弁天堂”が造られたと言われています。
「出世・開運授け大黒天」や「さわり大黒天」がいらっしゃいます。
(大黒天について知りたい方はココをPUSH)
1412年に作られた”大黒天像”は観音ミュージアム(現在非公開)にあります。
鎌倉江ノ島七福神の1つです。
”弘法大師”が籠ったと言われる洞窟です。
”宇賀神”がいらっしゃいます。
壁には①”弁財天”と②”その眷属である十六童子”が彫られています。
御利益
智慧、財福、戦勝、子孫繁栄、音楽、技芸、弁舌
福徳弁財天を祀っています。
(弁財天について知りたい方はココをPUSH)
御利益
交通安全、豊漁、商売繁盛、美しさ
奥へ行くと弘法大師(空海)が籠ったと言われる”洞窟”(弁天窟)があります。
”奥津宮の隣”にあります。
そのため”龍宮大神”(龍神)をお祀りしています。
”龍宮エネルギーが最も集まるパワースポット”と呼ばれています。
龍宮の”例祭が9月9日”に毎年あります。(感染病や台風などの恐れのない平常時)
本宮の近くにある岩屋は、”江ノ島の龍神信仰”や”弁財天信仰の発祥の地”と言われています。
江戸時代に、”日本一の力持ち”と言われていた”卯之助”(岩槻)が納めた石と伝えられています。
”重さは320キロ”もあるそうです。
玄武岩の柱状節理断面が磨かれて”亀甲紋が現れたもの”です。
”江ノ島には存在しない石”だそうです。
”拝殿の天井”に描かれています。
「八方にらみの亀」は、”どこから見てもこちらをにらんでいる”ように見えます。
”実物は奉安殿に描かれていて”、”こちらは真似して描かれたもの”です。
藤沢市の有形文化財指定です。
御利益
海上安全、交通安全、豊漁、商売繁盛
手前にある唐破風造の建物は”拝殿”です。
この奥にある建物が1842年に造られた”入母屋造の本殿”です。
昔、”神様を祀っている岩屋”に水が入るつど、”奥津宮へ神様を移していたため”に”本宮”と呼ばれるようになったそうです。
この拝殿の天井に描かれている絵が”②八方にらみの亀”です。
“美しさ”を願う女性に人気です。
「よくばり美人守り」と呼ばれる5種類のお守りがあります。
①美白守・・・透明感と輝きのある白い肌を願う方へ。
②美形守・・・健康でスタイルの良い身体を願う方へ。
③美笑守・・・幸せにさせる魅力的な笑顔を願う方へ。
④美髪守・・・艶やかで豊かな美しい髪を願う方へ。
⑤美肌守・・・滑らかで潤いのある美肌を願う方へ。
”羽衣の形をした絵馬”を掛ける台があります。
”水琴窟”(すいきんくつ)があります。
瓶(かめ)に水を注ぎ落とすと、”琴のような音”がかすかに聞こえます。
御利益
海上安全、交通安全、豊漁、商売繁盛、美しさ
853年に創建されたと言われています。
1689年に徳川綱吉により”権現造り”(本殿・幣殿・拝殿)へと再建されました。
そして1996年に全面改修されて”朱色の社殿”となりました。
ご祭神の”市杵島比責命”(いちきしまひめのみこと)は、八百万の神々の中でも”トップクラスの美しさ”と言われています。
拝殿の天井には、”154枚もの花鳥画”が描かれています。
御利益
豊漁、航海安全、商売繁盛
1874年に”鶴岡八幡宮にあった末社の今宮”を移して、”蛯子神社の本宮”としたと言われています。
七福神の中でも特に”商売繁盛の神様”として知られています。
「例大祭」が”8月中旬の日曜日“にあります。(台風や感染病などの恐れのない平常時に行われます)
Ⓐ”江ノ島神社の入り口”からⒷ”江ノ島の頂上”まで続いている「上り専用のエスカレーター」です。
”250段ある階段”を登って歩くと”約20分かかる道のり”を、”約4分”で行くことができます。
江ノ島の頂上までの”3つの区間”を、それぞれエスカレーターがつないでいます。
①合計の長さは”106メートル”あります。
②高低差は”46メートル”あります。
①1つ目の区間は、「鳥居前~辺津宮」です。
②2つ目の区間は、「辺津宮~中津宮」です。
③3つ目の区間は、「中津宮~頂上」です。
”上り専用の屋外有料エスカレーター”です。
そのため頂上から戻るには”下りの階段”を下りることになるためご注意ください。
御利益
水難、火難、病難除去、五穀豊穣
江の島近海で、漁師が岩屋のそばに沈んでいる”御神像(須佐之男命)”を見つけました。
この御神像は大波で壊された”Ⓐ鎌倉・腰越にある小動神社の御神像”でしたが、”Ⓑ江ノ島に祀った”そうです。
そのため・・・
江ノ島天王祭はⒶ”鎌倉の小動神社”とⒷ”江ノ島の八坂神社”で同時に行われます。
”八坂神社”を出発した神輿が海を経由して”小動神社”に向かってきます。
毎年”7月の第1日曜日から第2日曜日にかけて”、夏祭り「江ノ島天王祭」があります。
(感染病や台風等のおそれのない平常時)
「かながわのまつり50選」にも選ばれています。
祭りのある”7月の第二日曜日”には、海を神輿で担いで渡ります。
とても勇壮です。
江島神社の辺津宮の末社になります。
岩水が流れてくる源には、”黄金の小判がある”と伝えられています。
この御神木は”銀杏の樹”です。
(イチョウについて知りたい方はココをPUSH)
2018年の台風の影響で枝が剪定されてしまいました。
”2本の幹が根元で1本になっている”ため「良い縁」を招くと言われています。
縁結びのパワースポットです。
根元には”ピンクのハートが描かれている絵馬”が掛けられています。
①八臂弁財天(はっぴべんざいてん)
②妙音弁財天(みょうおんべんざいてん)
(弁財天について知りたい方はココをPUSH)
御利益
智慧、財福、戦勝、子孫繁栄、音楽、技芸、弁舌
建物の形が”八角形”です。
① 1つは八臂弁財天(はっぴべんざいてん)です。
鎌倉幕府初代将軍の”源頼朝”がつくらせたと伝えられています。
国の重要重要文化財です。
(国の重要文化財について知りたい方はココをPUSH)
② もう1つは妙音弁財天(みょうおんべんざいてん)です。
通称「裸弁財天」と呼ばれていて、琵琶を抱えた名作と言われています。
また江戸時代には”弁財天信仰が盛ん”で、多くの庶民が参詣していたと言われています。
江ノ島神社は龍神さまと関係があると言われています。
悪さをしていた五頭龍が天女に恋をしたことをきっかけに悪さをやめて、天女と結婚をしたという話です。
そしてその”天女が江ノ島神社に祀られている弁財天”だと言われています。
また”五頭龍は腰塚にある龍口明神社(りゅうこうみょうじんじゃ)に祀られている”とも言われています。
そのためⒶ五頭龍を祀っている龍口明神社とⒷ天女を祀っている江ノ島神社の弁天堂の両方をお参りすると”縁が結ばれる”と伝えられています。
御利益
海上安全、交通安全、豊漁、商売繁盛など
社伝によれば552年に、欽明天皇の勅命により”江ノ島の南の洞窟(岩屋)に宮を建てたのが始まり”と伝えられています。
”現在の社殿”は1976年に造られたものです。
江ノ島神社の御朱印帳は”辺津宮”で手に入ります。
御利益
心願成就
江ノ島の八坂神社と小動神社が合同で天王祭を行います。
八坂神社を出発した神輿が海を経由して”小動神社”に向かっていきます。
江ノ島八坂神社について調べました
海を渡る神輿が見れます。
御利益
水難除け、火難除け、病気平癒、五穀豊穣
1185年に佐々木盛綱(古くから源頼朝に仕えており、源平合戦でも活躍した武士です)が建てた神社です。
「新田義貞が北条氏と戦うために鎌倉攻めをした時」に、”必勝祈願をした”と言われています。
その願いが叶ったため新田義貞は、神社に”太刀”と”黄金”を贈りました。
これらの贈り物のおかげで、社殿を造り直したそうです。
①「例祭」が、1月16日にあります。
②「八坂神社天王祭」が、7月の第1日曜日から第2日曜日にかけてあります。
江ノ島の八坂神社と小動神社が合同で天王祭を行います。
八坂神社を出発した神輿が海を経由して”小動神社”に向かっていきます。
江ノ島八坂神社について調べました
海を渡る神輿が見れます。
”タブノキ”があります。
(タブノキについて知りたい方はココをPUSH)
三浦半島の古木・名木50選です。
祭り(台風や感染病などの恐れのない平常時にあります)
9月初旬に「例大祭」があります。
”北条時宗”(鎌倉幕府8代執権)が”産湯として浸かった”そうです。
「子宝の御利益」があると言われています。
(天照大神について知りたい方はココをPUSH)
御利益
あらゆる困難や障害を乗り越えるための御神徳を授けてくれます
710年に”行基”が一番初めに創り始めました。
そして豪族の染屋時忠が建立したと言われています。
”仏教を広めることを禁止されていた時代に、それでも仏教を民衆に広めることに尽力して民衆の支持を得た僧”です。
その後日本で初めて仏教で一番位の高い僧である大僧正となり、”奈良の大仏を建てる責任者”となりました。
”鎌倉最古と言われる神社”です。
このようなことからも”源氏とかかわりの深い神社”だったと分かります。
御利益:
稲作の守護 縁結び 夫婦円満 金運 厄除け
御利益
厄除け 商売繁盛 五穀豊穣、海上安全、安産祈願、家内安全
1964年の東京オリンピックの時に使用されていた”聖火台を加工したもの”です。
中でも例祭は「鎌倉祇園大町まつり」として知られています。
この鎌倉祇園大町まつりでは”神輿が4基”出ます。(江戸時代に造られた神輿だと言われています。)
神輿の下を子どもを抱いてくぐって健康に育つことを祈る「神輿くぐり」もあります。
”御神木の根元”にあります。
新羅三郎義光が力試しで持ち上げたと言われる”真ん丸の大きな石が2つ”あります。
御利益:
厄除け 五穀豊穣
1083年に建てられました。
新羅三郎義光(源頼朝の祖先で八幡太郎とも呼ばれている源義家の弟)が奥州へ戦へ行く時、鎌倉では疫病が流行っていました。
そのため疫病が鎮まるように、”京都の八坂神社の神様を分けてもらい祀った”のが始まりと言われています。
新羅三郎義光の子孫の佐竹氏を祀っていた祠が合祀されて、”佐竹天王”と呼ばれていました。
やがて神仏分離のために「八雲神社」と呼ばれるようになりました。
(神仏分離について知りたい方はココをPUSH)
鎌倉で最古の神社です。
お願いが成就したら神様へお礼参りをします。
無料で社務所にて「おりがみさま」を折る和紙をいただけます。
”名物玉こんにゃく”です。
「縁結び鈴」、「縁結び御守り」など縁を結ぶ御守りはたくさんあります。
①「男石」(大きい石)と
②「女石」(小さい石)の2つが祀ってあります。
「仕事」や「人間関係」などで良い縁を高めたい方は、
2つの石を結ぶ縄に、”赤い糸の付いた五円玉を結びつける”と良いそうです。
社務所で縁結びのお守りを買うと”赤い糸の付いた五円玉”をいただけます。
恋愛成就のパワースポットとして有名です。
ハート型のかわいらしい”縁結び絵馬”もあります。
参道の入り口にある鳥居の横にあります。
盃が割れるまで何度も投げてよいそうです。
盃が石に当たってパリンと割れると、スカッとしてストレスの解消にもなります(笑)
御利益
縁結び、子宝、夫婦円満、五穀豊穣、医薬、病気平癒、交通・航空守護、商売繁盛
縁結び石のご祭神で、中央の社に木でつくられた“大黒様”がいらっしゃいます。
この木造の大黒様は、”二宮尊徳の家にあったクスノキでつくられた”と言われています。
御利益
学業成就、縁結び、恋愛
”学問に優れた”日野俊基をお祀りしている神社です。
明治になって明治天皇により、日野俊基の働きは”明治天皇が経験した明治維新の先駆け”であったとたたえられました。
そのため日野俊基をお祀りする「葛原岡神社」が創建されたと言われています。
「運気」が上がる御利益があるそうです。
試験日当日に受験合格を祈願してくれます。
初穂料は一件につき1000円です。
おみくじと書かれている筒には①”天神様”②”梅”③”牛”が入っています。
そして筒から一本を引きます。
初穂料は100円です。
”漫画家の聖地”と言われています。
”河童の漫画を描き続けた清水崑”の絵筆を供養するために立てられた”河童筆塚”が有名です。
石碑の裏に書かれている文字は、作家の川端康成の文字です。
鎌倉で最も古い”銀杏の木”です。
(イチョウについて知りたい方はココをPUSH)
鎌倉市の天然記念物です。
御利益
学問 合格祈願 農業 病気平癒 詩歌 芸能上達
1104年に”菅原道真”をお祀りして建てられました。
そんな菅原道真の異例の出世は、時の権力者・藤原時平の反発を買ってしまいます。
そして菅原道真は京都から北九州の太宰府へと左遷されてしまいます。
その2年後に菅原道真は無念のうちに亡くなってしまいました。
すると都では天変地異が相次いで起こります。
また要職の公家が亡くなり、菅原道真を左遷した藤原時平も病死してしまいました。
そうすると”菅原道真の祟り”だと恐れられるようになりました。
そのため神として菅原道真を祀ることで、怒りを鎮めてもらおうと北野天満宮が造られました。
時間が経つにつれて菅原道真はタタリ神ではなく”学問の神”として祀られるようになっていきました。
源頼朝は荏柄天神社を”鎌倉の鬼門”に建てたと言われています。
本宮は、”鶴岡八幡宮の旧若宮社殿”(室町時代の初期に建てられた)を江戸時代に移築したものだと言われています。
”鎌倉最古の木造建築”だと言われています。
市指定文化財です。
菅原道真を祭神とする神社のほとんどは①福岡の「太宰府天満宮」、②京都の「天野天満宮」から菅原道真の分身・分霊を移して祀ったと言われています。
境内には”梅の木が100本以上”あります。
そして鎌倉で一番早く咲く梅の木があります。
荏柄天神社の紋は”梅”です。
”鎌倉権五郎影政の武勇を伝える石”です。
105キロある「手玉石」を思い通りに持ち上げ、60キロある「袂石」を袂に入れたと言われています。
また、この例大祭の最中に、面掛行列(めんかけぎょうれつ)と言われる奇祭も行われます。
この面掛行列は神奈川県指定無形民俗文化財で、江戸時代から続いているそうです。
10名がそれぞれ翁、鬼、異形、鼻長、カラス天狗、爺、火吹男、福禄寿、おかめ、女の面をつけて行進します。
その後に神輿も続きます。
樹齢約350年と言われる御神木のタブノキです。
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樹齢が”約400年のイチョウの木”です。
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雌雄(右側が雌、左側が雄)の銀杏の木が”2つ”そろって立っています。
「夫婦円満」、「家内安全」、「子宝安産の御利益」があるといわれています。
御利益
幸福、長寿
鎌倉七福神の福禄寿が鎌倉宝蔵庫に祀られています。
鎌倉国宝館について調べました
「幸福」、「長寿の御利益」も授かることができます。
御利益
眼病平癒、厄除け、学問、合格祈願、必勝祈願
1083年、鎌倉権五郎景政の”勇敢さ”を称えて建てられた神社です。
”権五郎神社”とも呼ばれています。
また戦友が左目に刺さった矢を引き抜こうと鎌倉権五郎景政の顔に足をかけました。
すると鎌倉権五郎景政はその行為を「弓矢に当たって死するは武士の本望。なのに土足を持ってお面部を踏むとは何事ぞ。」と叱ったと言われています。
この勇敢な話は鎌倉武士の誇りとなり歌舞伎にもなっています。
鎌倉幕府ができる前からある古い神社です。
“大きな鳥居”があります。
戦に出る時に、護良親王は”獅子頭を必ず兜の中にお守りとして入れていた”そうです。
鎌倉宮の御神木のオガタマノキです。
(オガタマノキについて知りたい方はココをPUSH)
鎌倉市指定の天然記念物です。
村上彦四郎義光が護良親王(もりながしんのう)の”身代わりになって切腹”しました。
”厄割り石”は初穂料100円となります。
御利益
魔除け、厄除け、身代わり
1869年、”明治天皇が自ら命令して”鎌倉宮を創建されました。
1333年に「子・護良親王」は「父・後醍醐天皇」と一緒に鎌倉幕府を倒しました。
そして建武の新政を行い「”武士”から”天皇”へ政権を移す」という歴史的出来事を経験しています。
一方、明治天皇も1867年に大政奉還という「”武士”から”天皇”へ政権を移す」という歴史的出来事を経験されています。
そのため明治天皇は護良親王に共感したため功績をたたえ、鎌倉宮を建てたと言われています。
御利益
智慧、財福、戦勝、子孫繁栄、音楽、技芸、弁舌
災害が続いていた当時、巳年、巳月、巳日、巳刻に”源頼朝の夢枕”に”宇賀神”が現れました。
そして西北の方向に霊水があり、この水で神仏を供養すれば世の中が良くなると告げたそうです。
そのため”宇賀神弁財天を祀った”と伝えられています。
中でも”1月”、”4月の初巳”、”9月の大祭の日”に参拝すると金運が特にあるそうです。
巳とは蛇のことです。
御利益
海上安全、交通安全、豊漁、商売繁盛、美しさ
1185年に源頼朝(鎌倉幕府初代将軍)が”夢でお告げを受けて建てた神社”だと言われています。
北条時頼(鎌倉幕府5代執権)が”一族の繁栄を願いこの神社に湧いている霊水でお金を洗った”ことから、この霊水でお金を洗うと金運が上がると言われるようになったそうです。
なぜなら”宇賀神”は体が蛇で頭が人の形をしている神様とも言われているからです。
そのため蛇の好物である卵をお供えしています。
霊水「銭洗い水」があります。
これは”鎌倉五名水の一つ”です。
御利益
五穀豊穣、産業興隆、商売繁盛、家内安全、芸能上達
平治の乱で平家に負け伊豆に流されていた”源頼朝の夢”に、佐助稲荷神社の神様が現れました。
そして”平家に戦をするよう告げたそう”です。
そのため源氏が平家に勝利することができたという伝説から、出世稲荷と呼ばれています。
1909年に鶴岡八幡宮の末社から独立しました。
”ペットの絵馬”や”ペットのお守り”等もおいてあります。
ペットの幸せを願う神社としても知られています。
”湧き水”があります。
ありがたいお水としてペットボトルに入れて持ち帰ることができますが、飲めないそうです。
”縁結びの十一面観音菩薩”です。
良縁に恵まれなかった美しい姫君の「赤松幸運」が出家しました。
そして「赤松幸運」が「今を生きる若い男女に良い縁が訪れるように」と願いながらつくったのが、この”十一面観音菩薩”だと伝えられています。
”毎年5月18日に開帳”されます。(台風や感染病などの恐れのない通常時)
縁結びのパワースポットとなっています。
御利益
五穀豊穣、産業興隆、商売繁盛、家内安全、芸能上達
平治の乱で平家に負け伊豆に流されていた”源頼朝の夢”に、佐助稲荷神社の神様が現れました。
そして”平家に戦をするよう告げたそう”です。
そのため源氏が平家に勝利することができたという伝説から、出世稲荷と呼ばれています。
1909年に鶴岡八幡宮の末社から独立しました。
”ペットの絵馬”や”ペットのお守り”等もおいてあります。
ペットの幸せを願う神社としても知られています。
二つの池の間には「太鼓橋」が掛けられています。
右にあるのは”源氏池”、左にあるのは”平家池”です。
これは源頼朝の妻・北条政子が源氏の勝利を祈り、Ⓐ源氏池の島の数を”3”(さん)置くことで「産:さん」つまりこれから源氏が栄えることを期待し、Ⓑ平家池の島の数を”4”(し)置くことで「死:し」つまり平家の滅亡を願って造らせたと言われています。
かつてⒶ源氏池には源氏の旗の色である白旗のような”白い蓮の花”が、Ⓑ平家池には平家の旗の色である赤旗のような”赤い蓮の花”が咲いていたそうです。
今は両方の池で赤や白の蓮の花を見ることができます。
また源氏池には藤棚もあり”紫色の藤”が5月上旬に咲きます。
6月には”蛍”を見ることができる「蛍放祭」があります。
9月には”鈴虫”を見ることができる「鈴虫放生祭」があります。
昔は柳の名所だったそうです。
源義経の妻”静御前”(しずごぜん)が源義経を慕う歌を歌いながら舞を踊ったとされている場所です。
源頼朝は源義経の妻の静御前に舞殿で舞うよう命じたところ、静御前は頼朝が腹を立てるのを覚悟で夫の源義経を慕う歌を歌いました。
すると源頼朝の妻・”北条政子”が、「私も静御前の立場なら同じことをする」とかばい源頼朝の怒りを鎮めて静御前の命を助けたと言われています。
4月の第2日曜日に「静の舞」と言われる舞いが行われます。
(台風や感染病などの恐れのない平常時)
手斧始式 | 1月4日 |
除魔神事 | 1月5日 |
節分祭 | 立春の前日 |
貢詠披講式 | 3月最終の土か日 |
静の舞 | 4月第2日曜日 |
菖蒲祭 | 5月5日 |
大祓(おおはらえ) | 6月30日と12月31日 |
七夕祭 | 7月7日 |
白旗神社の前にある、”2つの石”です。
御利益
学業成就、必勝祈願
1200年に源頼朝の妻の”北条政子”が鎌倉幕府初代将軍”源頼朝を祀って”建てた神社です。
その後に、鎌倉幕府3代将軍”源実朝”も併せて祀りました。
鶴岡八幡宮の末社です。
”黒塗りの社殿”が特徴的です。
”唐破風”というまるい山のような形をした梁を見ることができます。
「微小な身の育ちでありながら天下をとったのは、御身と吾だけである。
しかし、御身の先祖は関東で威をはり、挙兵すれば多くの兵が従い天下をとるのも容易であったろうが、吾は名もない卑属から天下をとったのだから、吾の方が出世頭である。」
「御身と吾は天下友達である」
このように言ったと伝えられています。
お祭り (台風や感染病などの恐れのない平常時にあります)
① 「例祭」が5月28日にあります。
② 「実朝祭」が8月9日にあります。
③ 「文墨祭」が10月28日にあります。
御利益
五穀豊穣、産業興隆、商売繁盛、家内安全、芸能上達
”鶴岡八幡宮の中”にあります。
本宮は国の重要文化財に指定されています。
(国の重要文化財について知りたい方はココをPUSH)
赤い鳥居や赤い旗がたくさんあり、稲荷神社に来た雰囲気をあじわえます。
祭り(台風や感染病などの恐れのない平常時にあります)
①「例祭」が”4月9日”に行われます。
②「火焚祭」が”11月8日”に行われます。
③「初牛祭」が”2月の初午の日”に行われます。
旗上弁財天(鎌倉七福神の弁財天を祀っている神社)の裏にあります。
”源頼朝”が妻の”政子”の安産を祈ったと言われる石です。
別名「姫石」とも呼ばれています。
「安産」、「縁結び」の御利益があると言われています。
”樹齢が1000年”と言われる”イチョウの御神木”です。
(イチョウについて知りたい方はココをPUSH)
今も芽は成長しています。
”鎌倉十井(かまくらじっせい)の1つ” 星ノ井(ほしのい)の井戸があります。
昔、この辺りは木々が生い茂り昼間でもうす暗かったと言われます。
そのため”この井戸は昼間でも星が光って見えるほど暗かったため”に「星ノ井」と言われるようになったそうです。
井戸の水は美味しかったため、昭和初期まで飲料水として売られていたと言われます。
鎌倉時代、”源頼朝”(鎌倉幕府初代征夷大将軍)もこの虚空蔵菩薩を拝んでいたと言われています。
そして”秘仏”として35年に1度だけ開帳していたそうです。
今は毎年1月13日に開帳しているため拝めます。
虚空蔵堂は、成就院が管理する堂です。
”2つの石塔”があります。
Ⓐ「大きい石塔」は、安養院の前身である善導寺の”初代住職・尊観の石塔”(墓石)と伝えられています。
1308年に建てられた”鎌倉で最古の石塔”と言われています。
国の重要文化財です。
(重要文化財について知りたい方はココをPUSH)
Ⓑ「小さい石塔」は、”北条政子の供養塔”と言われています。
樹齢700年を超えている”槇の木”があります。
高さは”14M”、幹回りは”約3.5M”あります。
(槇について知りたい方はココをPUSH)
尊観(安養院の前身である善導寺の初代住職)が植えたと伝えられています。
鎌倉市の天然記念物です。
14世紀に造られたと言われています。
(地蔵菩薩について知りたい方はココをPUSH)
鎌倉24地蔵・第24番です。
”日にちを決めてお参りする”と願い事が叶うと言われています。
「恋愛成就」の御利益があると言われています。
①1255年に”北条政子”が夫・源頼朝の冥福を祈って長楽寺を建てました。
②1333年に長楽寺は戦火で焼失したため、善導寺に統合され安養院長楽寺となりました。
(この安養院という名前は北条政子の法名から付けられたと言われています)
③そして1680年江戸初期に安養院長楽寺は全焼してしまったために、田代信綱(源頼朝に仕えていた)が建てた田代寺の観音堂を移して再建しました。
そのため”別名・田代寺”と呼ばれています。
オオムラサキツツジが有名です。
②「北条政子像」がいらっしゃいます
③「千手観音」がいらっしゃいます
”千手観音像が本尊の後ろにいらっしゃいます”
(千手観音について知りたい方はココをPUSH)
”江戸時代に造られました”
”鎌倉33観音・第3番です”
Ⓑ北条政子(源頼朝の妻)がこの観音像に祈ったところ、
”源頼朝と結ばれたり””天下を取れたり”したことから、「良縁観音」、「商流観音」と呼ばれるようになりました。
建てられた年は不明です。
光明寺が”僧の最高の学問所”だった時に、
①”千手院”は学僧たちが修行道場としていた”僧坊の1つ”でした。
②そしてこの僧坊がお寺になり「千手院」となりました。
江戸時代には学僧の人数が減ってきたために、近所の子ども達を集めて読み書きを教える寺子屋を行っていました。
また明治時代(1882~1896年)には桑場小学校もあったそうです。
②「千手観世音菩薩」がいらっしゃいます
(千手観音菩薩について知りたい方はココをPUSH)
”鎌倉33観音・第17番です”
1181年に、源頼朝(みなもとよりとも:鎌倉幕府初代征夷大将軍)が”文覚上人”(もんがくしょうにん)を初代住職として招きお寺を建てました。
源頼朝が仏様に願い事をするお寺(祈願寺)だと言われています。
④「月光菩薩」がいらっしゃいます
「鎌倉祭り」は”4月第2日曜日~第3日曜日”に行われます。
平家が滅亡した時、平家の総大将の”平宗盛”(たいらのむねもり:平家の武将、公卿で平清盛の3男)が”最後まで持っていた赤旗”だと言われています。
”源頼朝”がこの赤旗を”補陀洛寺へ奉納した”と伝えられています。
1293年に、”一向”を初代住職として招き”時宗”のお寺が建てられました。
1293年に起きた鎌倉大地震で亡くなられた人々を供養するために建てられたと言われています。
鎌倉には来迎寺と呼ばれている”お寺が2か所”あります。
Ⓐ材木部とⒷ西御門にあります。
”鎌倉大地震”は震源域が鎌倉周辺、死者が23、000人に及ぶ地震だと言われています。
来迎寺のある西御門の地域が特に被害が多かったそうです。
②「跋陀婆羅尊者(ばったばらそんじゃ)」がいらっしゃいます
”市の指定文化財です”
(跋陀婆羅尊者について知りたい方はココをPUSH)
③「岩上地蔵菩薩(がんじょうじぞう)」がいらっしゃいます
④「如意輪観音(にょいりんかんのん)」がいらっしゃいます
”鎌倉33観音第5番です”
(如意輪観音について知りたい方はココをPUSH)
”妖艶なほほえみをたたえている仏様です”
”鎌倉を代表する仏様の1つだと言われています”
”県の指定文化財です”
「厄除け」や「安産」に御利益があると言われています
「お不動様の日」として毎月28日に護摩法要を13時から行っています。
28日には本堂の不動明王を見ることができます。
1235年に、”藤原頼経”(ふじわら・よりつね:鎌倉幕府4代将軍)が、定豪(じょうごう:真言宗の僧)を初代住職に招いて真言宗のお寺を建てました。
鎌倉幕府から見て”鬼門の方角に当たる”(北東)を護るために、五大明王をお祀りする明王院を建てたと言われています。
”鎌倉幕府の願い事をするお寺”とされていたそうです。
中国の”元”が攻めてきた時にも、”護摩法要”を行い嵐を呼んで元寇を退けたと言われています。
(護摩行について知りたい方はココをPUSH)
”茅葺き(かやぶき)屋根”の本堂です。
②「5体の明王」がいらっしゃいます
五大明王とは、
中心に①不動明王(ふどうみょうおう)がいらっしゃいます。
その周りに
②大威徳明王(だいいとくみょうおう)、
③軍荼利明王(ぐんだりみょうおう)、
④降三世明王(ごうざんぜみょうおう)、
⑤金剛夜叉明王(こんごうやしゃみょうおう)がいらっしゃいます。
これら”五体の明王の総称を言います”
③「十一面観世音菩薩」がいらっしゃいます
”鎌倉観音13番・第1番です”
”本堂の右手にお堂があります”
(地蔵菩薩について知りたい方はココをPUSH)
1804~1818年に村民が作ったと言われています。
当時は”茅葺き”(かやぶき)で作られた三門だったそうですが、今は”瓦ぶき”(かわらぶき)で作られた三門になっています。
1278年に開基(寺を建てる時に経済支援をした人あるいは知名度があり力を貸した人)の”一遍”が、初代住職に”作阿(さくあ)”を招いて念仏のお寺(光触寺)を建てました。
②「観音菩薩」がいらっしゃいます
(観音菩薩について知りたい方はココをPUSH)
”快慶(かいけい)の作と伝えれらています”
(快慶について知りたい方はココをPUSH)
”国の重要文化財です”
③「勢至菩薩」がいらっしゃいます
(勢至菩薩について知りたい方はココをPUSH)
”湛慶(たんけい)の作と伝えられています”
(湛慶について知りたい方はココをPUSH)
”国の重要文化財です”
④ 「聖観世音菩薩立像」がいらっしゃいます
”平安時代の作と言われています”
”鎌倉33観音・第7番です”
”公開されていません”
⑤ 「阿弥陀如来の仏頭」がいらっしゃいます
(阿弥陀如来について知りたい方はココをPUSH)
”元・大慈寺の丈六堂の本尊だったと言われています”
”厨子(ずし:阿弥陀如来を収納している仏具)は、足利 持氏(あしかが もちうじ:室町時代の関東管領)から贈られたものだと言われています”
※本尊の拝観は、”10名以上”から見ることができます。
予約が必要です。
光触寺にあります絵巻「頬焼阿弥陀縁起:ほおやけあみだえんぎ」によりますと・・・
鎌倉時代、将軍に呼ばれて鎌倉に来ていた”運慶”は、町局(まちのつぼね)という裕福な女性に頼まれて阿弥陀三尊像を造りました。
ある時、町局に仕えていた万歳法師という名の僧が盗みの疑いをかけられてしまいます。
そして万蔵法師は罰として町局に頬へ焼き印を押されてしまいます。
しかし、頬には焼き痕が残りませんでした。
すると町局の夢に阿弥陀如来が現れて「なぜ、私の頬に火印を押すのか」と言われたそうです。
そのため町局は阿弥陀如来を確認してみると、頬に焼き痕が残っていたと言われています。
その後、町局は出家して岩蔵寺という名のお寺を建てて、阿弥陀三尊像を祀ったと伝えられています。
盗みの疑いをかけられた法師の代わりに、ほほを焼かれたという伝説から頬焼阿弥陀と呼ばれるようになったと言われています。
世界三大美女の一人です。
2003年に寄進されました。
美人祈願・恋愛成就スポットです。
創建時に植えられ”樹齢750年”と言われています。
(マキについて知りたい方はココをPUSH)
市の指定文化財です。
網引き地蔵のやぐらの真上にあります。
国の史跡です。
(国の史跡について知りたい方はココをPUSH)
木で造られた地蔵菩薩・立像です。
(地蔵菩薩について知りたい方はココをPUSH)
県の指定文化財です。
阿弥陀堂の裏山のやぐらにいらっしゃいます。
(地蔵菩薩について知りたい方はココをPUSH)
石で造られた地蔵菩薩・坐像です。
市の指定文化財です。
「不動明王」がいらっしゃいます
(不動明王について知りたい方はココをPUSH)
”1745年頃に建てられました”
”通称八坂不動明王像と呼ばれています”
蒙古襲来の時には、敵を破るための御祈祷の本尊であったと伝えられています
非公開です
木造の三門です。
元・英勝寺の総門(もっとも大きな正門)と言われています。
市の指定文化財です。
1251年に、北条長時(ほうじょうながとき:鎌倉幕府6代執権)が真阿(しんあ:鎌倉時代の僧)を初代住職に迎えてお寺を建てました。
1668年に造られた木造の本殿があります。
もともと阿弥陀・三尊像が祀られていたために、阿弥陀堂と呼ばれるようになりました。
1つの宗派にこだわらず、複数の宗派からなるお寺です。
Ⓐ鎌倉時代は”北条氏の菩提寺”、
Ⓑ室町時代は”鎌倉公方(かまくらくぼう:鎌倉府の長官として関東を支配した足利氏)の菩提寺”だったと言われています。
(菩提寺について知りたい方はココをPUSH)
”足利尊氏”(あしかがたかうじ:室町幕府初代征夷大将軍)や”足利直義”(あしかがただよし:足利尊氏の弟)は、堂や仏舎利を寄付するなどお寺を支援していたそうです。
この当時の境内の様子は「浄光明寺敷地絵図」に描かれています。
現在は鎌倉国宝館にあります。
鎌倉国宝館について調べました
”境内と冷泉為相のお墓”が国の史跡に指定されています。
(国の史跡について知りたい方はココをPUSH)
1336年に、”新田義貞”(にった よしさだ)が北条方の戦死者を弔うために、風航順西(ふうこうじゅんさい)を初代住職として招いて建てたお寺です。
九品寺のある場所は、新田義貞が鎌倉を攻めた時に本陣を構えた場所だと言われています。
「九品寺:くほんじ」の額は、新田義貞の直筆の写しと言われています。
直筆は本堂の中にあるそうです。
”九品”とは浄土宗の考え方です。
”あの世に行く時に、生前の行いにより阿弥陀如来が9種類の往生のいずれかへお連れする”と言う考え方です。
”樹齢100年以上”と言われる百日紅(さるすべり)があります。
(百日紅について知りたい方はココをPUSH)
9月には赤い花が咲きます。
正宗(まさむね)・・・鎌倉時代・末期で”日本刀をつくっていた名匠”です。
別名:五郎入道正宗、岡崎正宗、岡崎五郎入道とも言われています。
「相州伝」と呼ばれる作風を確立しました。
そして「正宗」の名は日本刀の代名詞となりました。
1410年に造られました。
”初代住職・日出上人”が木更津にある八幡宮の別当寺で行われた論争で勝利し、”譲り受けた鐘”だと言われています。
鎌倉市指定文化財です。
1436年に”源頼朝”(鎌倉幕府初代征夷大将軍)が建てた夷堂の跡地に、
足利持氏(あしかがもちうじ:鎌倉府の長官)が”一乗日出(いちじょうにっしゅつ:室町時代の日蓮宗の僧)を初代住職”として招いて建てたお寺です。
2代目住職”日朝上人”は目の治療で有名であったために本覚寺は「日朝さま」と呼ばれています。
その時に、”身延山から日蓮の骨の一部を分けてもらい祀った”ために東身延(ひがしみのぶ)とも呼ばれています。
日蓮宗の本山です。
③「普賢菩薩」がいらっしゃいます
(普賢菩薩について知りたい方はココをPUSH)
覚園寺の裏にある鷲峰山(じゅぶせん)を登っていくと山頂付近に”たくさんの”やぐら”があります。
櫓(やぐら)・・・鎌倉地方特有の山の斜面に穴を掘った横穴式の石窟です。
”石造の宝篋印塔が2つ”あります。
Ⓑ1つは「大燈塔」です。
2世大燈・”源智の墓塔の石のお墓”です。
重要文化財です。
2つとも1332年に作られています。
非公開です。
1706年に鎌倉市にあった農家(名主)のお宅です。
木で造られた”地蔵菩薩”がいらっしゃいます。
”黒地蔵”と呼ばれています。
(地蔵菩薩について知りたい方はココをPUSH)
鎌倉24地蔵・第3番です。
鎌倉時代に造られています。
国の重要文化財です。
黒地蔵縁日が”8月10日”にあります。
(8月9日夜半過ぎから10日正午まで)
「くらやみ参り」とも呼ばれています。
新盆をむかえられる方が、3年間つづけて縁日に参拝されると亡くなられた方が成仏されるそうです。
覚園寺の近くに昔あった”大楽寺(だいらくじ)の本堂”を移したと言われています。
(不動明王について知りたい方はココをPUSH)
②「鉄造・不動明王」がいらっしゃいます。
”鎌倉時代作です”
③「木造・阿閦如来(あしゅくにょらい)」がいらっしゃいます。
”鎌倉時代作です”
”鎌倉13仏霊場・第11番です”
1218年に、”北条義時”(ほうじょうよしとき:鎌倉幕府2代執権)が建てた薬師堂がはじまりと言われています。
[戌神(いぬがみ 別名 伐折羅大将:ばさらたいしょう 十二神将のうちの1尊)が北条義時の夢の中に現れたことをきっかけに、薬師堂を建てたと伝えられています。]
1296年に、北条貞時(ほうじょうさだとき:鎌倉幕府9代執権)は元寇が再び襲来しないように祈り、
智海心慧(ちかいしんえ)を招いてこの薬師堂を「覚園寺」として再びお寺を建てたそうです。
(智海心慧について知りたい方はココをPUSH)
その翌年、鶴岡八幡宮で源実朝(鎌倉幕府3代将軍)の右大臣を祝う式典がありました。
北条義時も参加しましたが、体調が悪くなったために源仲章にを代わりに参加してもらいました。
すると代役の源仲章は、源実朝とともに公暁(くぎょう:鎌倉幕府2代将軍源頼家(よりいえ)の三男)に斬り殺されてしまいました。
北条義時は戌神がこのことを警告し助けてくれたのか、と考えました。
そこで北条義時は大倉薬師堂にお礼のために参拝したところ、
事件のあった頃から十二神将の中の「戌神」だけが、何故かいなくなったと聞きました。
そのため”薬師十二神将の「戌神」が、北条義時を災いから護ってくれたのだ”と伝えられるようになりました。
本堂は、
①”藁ぶき”の寄棟造り(よせむねづくり:4方向に傾斜する屋根面をもつ日本の建築様式)
②禅寺ではありませんが、”禅宗様”(ぜんしゅうよう:日本の伝統的な建築様式の1つ。中国(北宋)から伝わった建築様式です。)
③”方五間”(正面と側面に柱と柱に5つの壁があります)
で造られています。
①”後醍醐天皇”は覚園寺を”祈願寺”としていたと言われています。
(祈願寺について知りたい方はココをPUSH)
②”足利氏”は覚園寺を”祈願所”としていたと言われています。
③”歴代の北条家”(鎌倉幕府・執権)が”崇拝していたお寺”だと言われています。
境内は国の史跡に指定されています。
(史跡について知りたい方はココをPUSH)
③「月光菩薩」がいらっしゃいます
”国の重要文化財です”
④「十二神将」がいらっしゃいます
”頭の上にそれぞれ十二支の動物がいらっしゃいます”
”国の重要文化財です”
⑤「阿弥陀如来」がいらっしゃいます
”理智光寺の本尊でした”
”鎌倉市二階堂にあった廃寺です”
(阿弥陀如来について知りたい方はココをPUSH)
聖徳太子は仏教を篤く敬い保護していました。
聖徳太子は伝来してきたばかりの仏教を篤く信仰していたため、仏教を日本に広めて盛んにした象徴となりました。
そのため”日本の釈迦“として、そして”観音菩薩の生まれ変わり”として仏教の宗派を問わず信仰されています。
聖徳太子像を安置した堂を「太子堂」と言います。
英勝寺の裏山に”竹林”があります。
鎌倉で見られる”見事な竹林”の一つです。
(孟宗竹について知りたい方はココをPUSH)
6月に”フジ”が咲き始めると、茶室でお茶を飲むことができます。
500円です。
1643年、英勝院の一周忌のために”仏殿”、”三門”、”鐘楼”は建てられました。
松平頼重(徳川頼房の子、徳川光圀の兄)により建てられました。
国の重要文化財です。
祠堂(しどう)前にある”小門”です。
欄間(らんま)には”両面透かし彫りのボタンの花”を見ることができます。
国の重要文化財です。
(国の重要文化財について知りたい方はココをPUSH)
江戸初期に徳川光圀(水戸黄門のモデルです。徳川頼房の子)によって建てられました。
”英勝院(別名を「お勝の方」と言います)の位牌を祀る建物”です。
英勝院は寺を建てる時に知名度があり経済支援をした人です。
日光東照宮で見ることができるような色鮮やかな装飾を、”祠堂の外側と内側”で見ることができます。
国の重要文化財です。
(国の重要文化財について知りたい方はココをPUSH)
1643年、英勝院の一周忌のために”仏殿”、”三門”、”鐘楼”は建てられました。
鎌倉ではここにしかない袴腰造(はかまごしづくり:袴をはいているように見える建築様式)の鐘楼です。
”鐘に刻まれている文字”は林羅山(儒学者)によるものです。
国の重要文化財です。
(国の重要文化財について知りたい方はココをPUSH)
そのため”太田家”と”徳川家”は関係が深いと言われています。
Ⓐ太田家の家紋である桔梗(ききょう)や
Ⓑ徳川家の家紋である三つ葉葵が
”仏殿”や”三門”に刻まれています。
またⒸ江戸時代では水戸・徳川家の姫君が代々住職を務めたそうです。
①軒下には”十二支の彫刻”があります。
②扉には”セミ型の金物”があります。
③建物の中には”瑞鳥”(ずいちょう)や④天井に”迦陵頻伽”(かりょうびんが)の絵が色鮮やかに描かれています。
⑤林羅山(儒学者)が”「英勝寺記」と書いた額”が掛けられています。
また”水戸・徳川家の家紋の三つ葉葵”や”太田家の家紋の桔梗”も刻まれています。
仏殿の中には入れません。窓から見てください。
国の重要文化財です。
(国の重要文化財について知りたい方はココをPUSH)
③「観音菩薩」がいらっしゃいます。
(観音菩薩について知りたい方はココをPUSH)
”開山・良忠上人”が子狐を助けました。
すると夢で親狐が現れお礼に薬種をくれました。
そしてこの薬種をまいて疫病にかかった人にその葉をあげたところ、疫病が治ったと言われています。
(稲荷神社について知りたい方はココをPUSH)
”富士山”や”海”が見えます。
「かながわの景勝50選」の景色です。
”枯山水庭園”です。
この庭園の中に”石”があります。
これらの石は、1つ1つ”三尊五祖の仏様”を表現しています。
三尊五祖の仏様・・・
Ⓐ”三尊”とは、極楽浄土の阿弥陀三尊のことです。
阿弥陀如来、観音菩薩、勢至菩薩を言います。
Ⓑ”五祖”とは極楽浄土を説いていた浄土教の釈尊、善導、法然、鎮西、記主を言います。
江戸の”名庭師・小堀遠州”が造ったと言われています。
(小堀遠州について知りたい方はココをPUSH)
Ⓑ庭園内には「大聖閣(たいしょうかく)」と言われる”お堂”もあります。
浄土宗の宗祖(1祖)・”法然上人の800年大御忌”として建てられました。
2階には阿弥陀三尊がいらっしゃいます。
”100以上の石塔”があります。
”光明寺の檀家・陸奥国磐城”、”日向延岡藩主・内藤家一族”の墓所です。
このように”大名のお墓が一か所に集まっていること”は珍しいそうです。
”鎌倉市指定の史跡”です。
1847年に造られました。
”ケヤキで造られた瓦葺き(かわらぶき)の鐘楼”です。
1847年に造られました。
”鎌倉で最も大きい三門”です。
2階には釈迦三尊、四天王、十六羅漢がいらっしゃいます。
(20名以上の希望により、理由によっては拝観できる場合があるそうです。HPに記載されています。)
”開山”や”歴代法主の御影”を祀っています。
”完全予約制の精進料理”が食べられます。
1243年に浄土宗3祖である”良忠上人(りょうちゅう)”が建てました。
Ⓐ 1495年には時の天皇や上皇により”勅願所”(鎮護国家・玉体安穏)とされました。
Ⓑ 江戸時代には徳川家康により念仏信仰と仏教研鑽の”根本道場”とされました。
1698年に”本堂”が建てられました。
”鎌倉で一番大きい本堂”です。
国の重要文化財です。
(国の重要文化財について知りたい方はココをPUSH)
全国にある”浄土宗のお寺の十夜法要の発祥の地”です。
1495年から始まり”500年以上続いている”そうです。
文学者のゆかりのある寺でもあります。
②久保田万太郎の句碑があります。(日本の小説家です。劇作家、俳人で、作品に「短夜」、「太寺学校」等があります。)
③吉田松陰の留跡碑があります。(吉田松陰が江戸へ向かう途中に、住職をしていた叔父の瑞泉寺を訪れたそうです。)
”徳川家光”が植えた冬桜だと言われています。
花言葉は「冷静」です。
(冬桜について知りたい方はココをPUSH)
市の天然記念物です。
花言葉は「恩恵」、「優美」です。
(黄梅について知りたい方はココをPUSH)
市の天然記念物です。
石庭の山の上に、”夢窓疎石が建てた建物”です。
鎌倉五山(鎌倉にある禅宗の格の高い5つのお寺)の僧が集まって、詩を読んでいたと言われます。
今ある建物は1935年に建てられたものです。
公開はされていません。
本殿の裏にあります。
国の名勝に指定されています。
崖の上から見る石庭もすばらしいです。
”夢窓疎石座像”(むそうそせき)があります。
南北朝期(鎌倉時代と室町時代の間)の作品です。
国の重要文化財です。
(国の重要文化財について知りたい方はココをPUSH)
1327年(鎌倉時代)に建てられたお寺です。
鎌倉幕府の重臣・二階堂道蘊(にかいどうどううん)が”夢窓疎石”(むそうそせき)を初代住職として招き建てました。
”2層屋根の建築様式”です。
足利基氏(あしかがもとうじ:室町幕府初代将軍・足利尊氏の4男)が”夢窓疎石”に帰依(信仰を仰ぐこと)していたために、瑞泉院という寺の名前を瑞泉寺へと変えました。
またこれ以降、鎌倉公方足利家(かまくらくぼうあしかがけ)の菩提寺となったと言われています。
(菩提寺について知りたい方はココをPUSH)
②夢想疎石は鎌倉時代に”北条高時”から、南北朝時代に”後醍醐天皇”や”足利尊氏”と弟の”足利直義”から深く尊崇されました。
公家の後醍醐天皇、武家の足利氏の帝ら南北両朝から国師の号(高僧の尊称)を”7つ”賜りました。
これにより世に〈七朝の帝師〉と称えられました。
③”禅庭・枯山水を生み出した作庭家”として世界でも有名です。
美濃の虎渓山永保寺、甲斐の恵林寺、京の天龍寺、西芳寺の庭園、鎌倉の瑞泉寺庭園、など国の特別名勝・名勝に指定されています。
④”漢詩人”でも有名です。
和歌・勅撰和歌集に11首作品が載っています。
②「千手観音」がいらっしゃいます
洋館を改装したレストランです。
焼きたてのパンやフレンチが食べられます。
藤原鎌足 (大化の改新で活躍しました)を祀っていらっしゃいます。
(稲荷神社について知りたい方はココをPUSH)
1392年と刻まれている足利貞氏(足利尊氏の父)のお墓があります。
2月上旬~下旬に梅の花が咲きます。
国の史跡に指定されています。
初代住職の退耕行勇(たいこうぎょうゆう:鶴岡八幡宮の高僧で北条政子や源実朝にも厚く敬われていた)がいらっしゃいます。
鎌倉時代の作品で、国の重要文化財です。
(「国宝」の意味を知りたい方はPUSH)
1188年に”足利義兼”(あしかがよしかね:足利尊氏の昆孫:こんそん:6代あとにあたる人)が”退耕行勇”(たいこうぎょうゆう)を初代住職として招き”密教系(真言宗)”のお寺を建てました。
当初は「極楽寺」という名前です。
1257~1259年ごろ、”月峯了然(げっぽうりょうねん:建長寺を開山した蘭渓道隆の弟子で)”が住職となった時に、”禅宗(臨済宗)の寺”として宗派を変えました。
そして名前も「浄妙寺」としています。
栄えていた時には”23の塔頭がある大寺院”でした。
1756年、江戸時代に再建されています。
”鎌倉5山・第5位”です。(禅宗寺院の格式を表したものです)
②「聖観世音菩薩」がいらっしゃいます
③「女人守護の淡島明神(あわしまみょうじん)」がいらっしゃいます
”「子宝」と「婦人病」の御利益があります”
”裏山にも墓地”があります。
①一つは”北条政子”(源頼朝の妻:寿福寺を建てる経済的支援をしています)のお墓です。
②一つは”源実朝”(さねとも:鎌倉幕府三代将軍・北条政子の子)のお墓です。
また源実朝のお墓に唐草のような模様が見られるため「からくさやぐら」、「絵かきやぐら」と言われています。
三門から中門まで”石畳の参道が300M”続いています。
寿福寺でしか見られない”独特の形状の石畳”で造られています。
中門の手前まで入ることができ、見ることができます。
1200年に、”北条政子”(源頼朝の妻)が”栄西”(えいさい/ようさい:臨済宗の禅僧)を初代住職として招き建てたお寺です。
源義朝(よしとも:源頼朝の父)のお屋敷があった場所に建てたと言われます。
①鎌倉にある”寿福寺”、②京都にある”建仁寺”の初代住職です。
”源実朝”(みなもとさねとも:鎌倉幕府三代将軍)もしばしば祈願に来たと伝えられます。
最盛期には十数か所もの塔頭が建つ、大きなお寺であったと言われています。
1644年に本殿は再建されました。
1966年に境内が”国の史跡”として指定されています。
(国の史跡について知りたい方はココをココをPUSH)
中門までは入れますが、そこから先は一般公開されていません。
”鎌倉5山第3位”です。(禅宗寺院の格式を表したものです)
②「普賢菩薩」がいらっしゃいます
③「文殊菩薩」がいらっしゃいます
(文殊菩薩について知りたい方はココをPUSH)
④「十一面観世音菩薩」がいらっしゃいます
”鎌倉33観音・第24番です”
②「
木造・釈迦如来座像」がいらっしゃいます。③「木造・十大弟子立像」がいらっしゃいます。
④「不動明王坐像」がいらっしゃいます。
(不動明王について知りたい方はココをPUSH)
”平安時代の作です”
4月25日~5月25日、10月25日~11月25日の土・日曜・祝日 に見ることができます。(雨天休館)
有料:300円
1259年に、北条重時(ほうじょう しげとき:鎌倉幕府・2代執権・北条義時の三男)は ”忍性”(にんしょう)を初代住職として支援し建てたお寺です。
(忍性について知りたい方はココをPUSH)
またかつて境内には 施薬院、寮病院、薬湯寮 など医療・福祉施設もあったそうです。
そして全盛期には金堂、講堂、十三重塔など伽藍(がらん)の他に49の塔頭があり、周囲の谷一帯が境内だったと言われています。
現在では本堂になっている”吉祥院”が残っています。
鎌倉で”たった一つの真言律宗のお寺”です。
③「文殊菩薩坐像」がいらっしゃいます
(文殊菩薩について知りたい方はココをPUSH)
④「忍性像」がいらっしゃいます
(忍性について知りたい方はココをPUSH)
⑤「興正菩薩(こうぼさつぼさつ)」がいらっしゃいます
(興正菩薩について知りたい方はココをPUSH)
”4月7~9日に公開されます”
”文覚上人”の荒行像がいらっしゃいます。
文覚・・・平安時代から鎌倉時代にかけて活躍された真言宗の僧です。
平家物語に文覚上人の”荒行の様子”が書かれていると言います。
神護寺の復興を後白河天皇に強要したために、怒りにふれて伊豆に流されました。
そこで源頼朝と知り合いになり、挙兵することに協力したと言われています。
”聖徳太子の1300年忌のため”に建てられました。
平安時代に”弘法大師”(空海)がこの地で護摩行を行ったと伝えられています。
「子授け」、「安産」、「子育て」の御利益があると言われています。
(地蔵菩薩について知りたい方はココをPUSH)
平安時代に”弘法大師”(空海)が”現在成就院のあるこの場所”で”護摩行を行った”と伝えられています。
そのために北条泰時(鎌倉幕府3代執権)が京都から高僧を招いて、この場所に成就院を建てました。
1333年に成就院は新田義貞の鎌倉攻めで焼失しますが、江戸時代に再建されました。
本堂は公開されていません。
護摩行とは、
Ⓐ100日間にわたり
Ⓑ虚空蔵菩薩の真言を100万回唱える
修業を言います。
この修業をするとあらゆる仏教の経典を理解することができると言われています。
護摩供養が1月、5月、9月の13日に行われます。
(空海について知りたい方はココをPUSH)
②「弘法大師像(空海)」がいらっしゃいます
③「聖観世音菩薩像」がいらっしゃいます④「大日如来像」がいらっしゃいます
(大日如来について知りたい方はココをPUSH)
”7体並んだお地蔵様”がいらっしゃいます。その一番右側にいらっしゃるのが”身代地蔵”です。
鎌倉24地蔵・4番です。
(地蔵菩薩について知りたい方はココをPUSH)
”杉本義宗”は、杉本寺の後ろに”杉本城を築いた”人物です。
現在は苔の階段を登ることはできません。
左側にある”新しい階段”で登ります。
苔が生えた緑色の階段を見ると、”1200年の歴史の長さ”を感じます。
茅葺屋根の仁王門です。
仁王門にいる仁王像(金剛力士像)は、18世紀に”運慶”により造られたと言われています。
(運慶について知りたい方はココをPUSH)
近くで見るとより力強い迫力があります。
本堂に入って左側に2ついらっしゃる地蔵菩薩のうち、①”右側の地蔵尊”が尼将軍地蔵尊です。
(地蔵菩薩について知りたい方はココをPUSH)
安阿弥(あんあみ 別名:快慶の呼び名)(快慶について知りたい方はココをPUSH)
鎌倉24地蔵・6番です。
734年に建てられた”鎌倉で一番古いお寺”です。
鎌倉幕府が開かれる”500年も前”に建てられています。
②「慈覚大師(じかくたいし)が造った”十一面観音”」がいらっしゃいます
”慈覚大師(じかくたいし)を”円仁”(えんにん)と別称で言います”
”国の重要文化財です”
(国の重要文化財について知りたい方はココをPUSH)
③「恵心僧都(えしんそうず)が造った”十一面観音”」がいらっしゃいます
”恵心僧都(えしんそうず)を”源信”(げんしん)と別称で言います。
”国の重要文化財です”
”毎年8月10日”に行われる”四万六千日大祭”の日に拝観すると、”46,000日分の御利益”があると言われています。
寺に伝わる話によると・・・
鎌倉時代に火災が起きました。すると”3体の十一面観音”が大杉の下へ避難したそうです。
そのため「杉の本の観音」と呼ばれるようになったと言われています。
本堂は”茅葺屋根”です。
「神奈川県指定文化財」です。
三門の後ろに”ビャクシン”の木があります。
市の指定天然記念物です。
(ビャクシンについて知りたい方はココをPUSH)
本堂の横にあります。
鎌倉で一番大きい”コウヤマキ”です。
(コウヤマキについて知りたい方はココをPUSH)
”瓦葺”の造りです。
日本昔話に出てくるようなお家です。
庭では”アヤメ”、”梅”、”月見草”などの花が咲きます。
中国の唐の時代に見られる”鐘唐門”です。
2007年に再建された時に「山居幽勝」の額が掲げられました。
鎌倉では浄智寺でしか鐘のある三門は見られません。
『寶所在近(ほうしょざいきん)』の額が掲げられています。
寶所在近とは「仏を信じ、修行を積めば心の平穏が得られる」という仏の教えを意味しているそうです。
”鎌倉十井の一つ”です。
仏様の力で不老不死の効能があると言われています。
今は飲み水として使われていないです。
臨済宗円覚寺派 浄智寺【公式サイト】参照
映画
➀ツィゴイネルワイゼン/1980年 / 監督 鈴木清順 / 主演 原田芳雄 、大谷直子
②ラヴァーズ・キス/2003年 / 監督 及川中 / 主演 平山綾、宮崎あおい
➂武士の一分/2006年 / 監督 山田洋二 / 主演 木村拓哉 、檀れい
④武曲 MUKOKU/2017年 / 監督 熊切和嘉 / 主演 綾野剛、村上虹郎
⑤DESTINY 鎌倉ものがたり/2017年 / 監督 山崎貴 / 主演 堺雅人、高畑充希
⑥文禄三年三月八日/2021年秋 公開予定 / 監督 秋原北胤 / 主演 松平健、和泉元彌
ドラマ
①まだ結婚できない男/2019年 / フジテレビ系 / 主演 阿部寛 、吉田羊
②おカネの切れ目が恋のはじまり/2020年 / TBS系 / 主演 三浦春馬、松岡茉優
アニメ
TARI TARI2012年 / TVK他 / 江ノ島〜鎌倉を舞台にしたアニメーション作品
北条宗政は29歳の若さで亡くなられています。
建てたのは北条宗政の奥様とその子ども(北条師寺)です。
鎌倉時代、お寺が最も大きかった時には、11もの塔頭があり500名いる大寺院だったそうです。
昭和になり関東大震災が起こったため、お寺の大部分が焼失してしまいました。
今ある建物は昭和に再建されたものです。
”6月上旬から中旬”にかけて咲きます。
菖蒲が咲くころ、普段公開されていない茶室の「白蓮舎」でお茶を飲むことができます。
裏千家(茶道の中でも大きい流派の一つ)で、もっとも”古い茶室”と言われています。
そして”書院造り”(書院を建物の中心にした住宅様式のこと)で作られています。
千宗旦(せんのそうたん:千利休の孫)の好みで作られたそうです。
襖には、”狩野探幽 作の「八仙人の手違いの襖」”があります。
”仏像の彫刻”や”歴代の尼僧の蒔絵”、”縁切りに関する古文書”等があります。
「駆け込み寺」、「縁切り寺」と呼ばれるお寺だけに、”縁切りに関する古文書”があるため個性的です。
③「葡萄蒔絵螺鈿聖餅箱(ぶどうまきえらでん せいへいばこ)」があります。
”南蛮漆芸の遺品”で、”キリスト教で使われるミサの道具”です。
秋に開かれる”東慶寺伝来蒔絵展”で見れます。
国の重要文化財です。
④「東慶寺文書」があります。
1383年から”足利成氏の書状”や”足利政氏の印判状”など、”古文書”があります。
国の重要文化財です。
”水月観音坐像(すいげつかんのん)”がいらっしゃいます。
(観音菩薩について知りたい方はココをPUSH)
このような姿の仏様は京都では見られず、”鎌倉でしか見られない”そうです。
鎌倉では美男は高徳院の大仏、美女は東慶寺の水月観音菩薩半跏像と言われています。
像の高さは、”34センチ”です。
”毎月18日”は観音さまの縁日のため、水月観音坐像を見ることができます。
”茅葺屋根”です。
屋根の反りが美しい”宝形造”と呼ばれる建築様式です。
”3000株の花菖蒲”や”もみじ”を見ることができます。
見頃は”6月~7月”です。
約300株のあじさいが咲きます。
中でも「ヒメアジサイ」と”呼ばれる日本固有の淡い青色のあじさい”は、明月院ブルーと呼ばれています。
アジサイが咲きはじめると混みます。
”北条時頼”のお墓です。
”夢枕国師の塔所”として建てられました。
”足利利詮”(2代将軍)の遺骨が分骨されています。
そのため”足利氏の菩提寺”とも言われています。
②「木製の夢枕国師坐像」がいらっしゃいます。
庭では”一年中花”が見れます。
”白鷺池”という名は、”無学祖元”(初めてお寺を開いた僧、初代住持職)が円覚寺を建てる場所を探している時に、鶴岡八幡宮の神様が白鷺に化けて白鷺池へ案内したことからつけられたと伝えられています。
国指定名勝です。
北条時宗(円覚寺の開基:2度の元寇(中国)の襲来をしりぞけた8代執権)の”廟所”(びょうしょ:北条時宗の霊を祀っています。お墓)があります。
北条時宗は”佛日庵で禅に勤しんでいた”と言われています。
②「十一面観音坐像」がいらっしゃいます。
”廟所”(霊を祀っています。お墓です)にいらっしゃいます”
”鎌倉観音・第三十三番です”
③「鶴隠周音木像(かくいんしゅういん)」がいらっしゃいます。
(円覚寺の衰退していた塔頭(高僧のお墓等)を再び建て直した人)
”本堂にいらっしゃいます”
④「北条時宗像」がいらっしゃいます。
”8代執権です”
”廟所にいらっしゃいます”
拝観料は100円です。
お茶をたしなんでいた”鶴隠周音”が建てました。
”抹茶”や”コーヒー”を飲むことができます。お茶菓子は鳩サブレーで有名な豊島屋の小鳩豆落です。500円。
川端康成の「千羽鶴」や立原正秋の「やぶつばき」の小説にも登場しています。
白木蓮(ハクモクレン)があります。
”「阿Q正伝」を書いた中国の小説家魯迅”から昭和8年に贈られました。
3月中旬ごろに花が見れます。
泰山木(たいさんぼく)があります。
”「阿Q正伝」を書いた中国の小説家魯迅”から昭和8年に贈られました。
6月ごろ花が見れます。
鎌倉で”たった一つある国宝”(国の重要文化財)の建造物です。
(国の重要文化財について知りたい方はココをPUSH)
鎌倉時代に中国から伝えられた建築様式
①扇垂木(おうぎだるき)屋根の勾配や軒の反り、
②花頭窓(かとうまど)窓枠の縦の線が真っ直ぐ、
等を見ることができます。
「舎利殿」は”塔頭・正続院の中”にあります。
源実朝が中国(宋)の寺(能仁寺)から”お釈迦様の遺骨を分骨してもらい”ました。
「佛芽舎利(ぶつげしゃり)」と言われる”お釈迦様の歯”です。
そして祀っています。
その左右にⒶ”地蔵菩薩”とⒷ”観音菩薩”がいらっしゃいます。
Ⓐ(地蔵菩薩について知りたい方はココをPUSH)
Ⓑ(観音菩薩について知りたい方はココをPUSH)
普段は公開されていませんが、①”正月の三が日”と②”11月3日前後”に外観のみ見ることができます。
”方丈の正面”にあります。
屋根の形がゆるやかに曲がっている”唐破風”(からはふ)を見ることができます。
写経場の書院にて①”写経”、②”写仏”ができます。
終わりましたら会場内御宝前または観音堂に納めます。
受付時間9~15時です。
写経用紙は1200円です。
旧宝物館を改修した博物館です。
①梵鐘(重要文化財)
②十一面観音菩懸仏(重要文化財)
③観音三十三応現身像 (鎌倉市指定文化財)
④長谷寺縁起絵巻 (神奈川県指定文化財)等
があります。
三浦半島に流れ着いた本尊の観音像にくっついていた”牡蠣”(カキ)を祀っていると伝えられています。
”福壽地蔵”がいらっしゃいます。
(地蔵菩薩について知りたい方はココをPUSH)
「安産」、「繁栄」の御利益があると言われています。
1264年に作られた鐘です。
重要文化財です。
(国の重要文化財について知りたい方はココをPUSH)
現在は➈観音ミュージアムにて展示中です。
大晦日には鐘を叩くことができます。
「長谷寺」と名前のついた”赤い大きな提灯”が吊るされています。
「門かぶりの松」と言われる松もあります。
雑誌「明星」で活躍した歌人です。
1905年に歌集「舞姫」で発表した歌が刻まれています。
かまくらや みほとけなれど 釈迦牟尼(しゃかむに)は 美男におわす 夏木立かな
15世紀の”朝鮮王宮の建物”です。
青銅製の蓮弁が”4枚”あります。
当初、”大仏を祀っていた建物(大仏殿)の基礎”が残っています。
等間隔に並んでいて”合計56個”あります。
1768年ごろに建てられました。
山号「大異山」を記された扁額(へんがく)が掲げられています。
鎌倉時代の歴史書「吾妻鏡:あずまかがみ」によると、”1252 年”に大仏が建てられたと言われています。
鎌倉6阿弥陀・第1番です。
大仏は・・・
Ⓐ”力強い表情“、”風貌“、”堂々たる体躯“、等の「男性的な特徴」と
Ⓑ中国の宋の時代の「仏像の特徴」の
それぞれ両方の影響を受けて造られました。
完成当初、大仏は”金箔”で覆われていたと言います。
現在も、向かって左側にかすかに金粉の残りを見ることができます。
造られた頃は建物の中に祀られていましたが、2度の台風と津波で室町時代に建物が壊れてしまいました。
それ以降、現在のように”外で祀られるようになった”と言われています。
そのため如来像の荒廃が進んだために、江戸中期に修復したそうです。
その時に”臨済宗”から”浄土宗”へと宗派も変わったと言われています。
「鎌倉の大仏」、「長谷の大仏」とも呼ばれています。
大仏の中は空洞になっていて拝観できます。
拝観料は”20円”です。
鎌倉で唯一の国宝に指定されている仏像です。
(国の重要文化財について知りたい方はココをPUSH)
境内は国の史跡に指定されています。
(史跡について知りたい方はココをPUSH)
”上杉憲方のお墓”だと言われています。
”やぐら”とは、鎌倉地方特有の山の斜面に穴を掘った”横穴式のお墓”です。
間口約7メートル、奥行き約6メートル、高さ約3メートルあります。
”鎌倉で一番大きいやぐら”と言われています。
やぐらの中央には”釈迦如来像”、”多宝如来像”が浮き彫りされています。
その両脇に”十六羅漠像”が浮き彫りにされています。
”鎌倉十井(じっせい)”の一つです。
”井戸の形が水瓶(みずがめ)のような形”になっていることから、”つるべ”という名前が付けられたそうです。
「悟りの窓」と呼ばれる”円い窓”は、本堂にあります。
悟りの窓から”後庭園を見る”ことができます。
この窓から眺める庭園の景色は、絵画のようできれいだと有名です。
後庭園は”もみじ(12月ごろ)”、”はなしょうぶ(6月ごろ)”の時期になると中に入って散歩することができます。
500円。
明月院は”禅興寺(明治の初めまでありました)の塔頭”だったものです。
1380年に禅興寺が廃寺となった時に、塔頭の明月院だけが残りました。
”約2500株”のあじさいが咲きます。
中でも「ヒメアジサイ」と呼ばれる日本固有の淡い青色のあじさいは、明月院ブルーと呼ばれています。
”見頃は6月~7月”です。
歩いていると境内の所々で、”かわいらしいうさぎさんの像”に出会えます。
”円覚寺を建てた時からある”歴史のある池です。
”夢窓疎石”(むそうそせき:枯れ山水の生みの親と言われています)が造った庭です。
(夢想疎石について知りたい方はココをPUSH)
国指定名勝です。
(国の史跡について知りたい方はココをPUSH)
山号の”瑞鹿山”(ずいろくさん)の額が揚げられています。
瑞鹿山と言う名前は、”無学祖元”(初めてお寺を開いた僧、初代住持職)が開堂にあたって法話をしようとすると、山から白鹿が出てきて話を聞こうとしたことから付けられたと言われています。
北条貞時(円覚寺の開基;北条時宗の息子)が”国家安泰を願って”寄進したそうです。
”関東で一番大きい鐘”です。
高さは259.4センチ、口径は142センチあります。
”鎌倉3名鐘の一つ”です。
寺では洪鐘(おおがね)と呼ばれています。
国の重要文化財です。
円覚寺で最も有名な”塔頭”(祖師や高僧の墓塔を守るために作られたお寺)です。
①「文殊菩薩」がいらっしゃいます。
(文殊菩薩について知りたい方はココをPUSH)
②「無学祖元」(初めてお寺を開いた僧、初代住持職)がいらっしゃいます。
境内の奥にある開山堂にいらっしゃいます。
”座禅道場”です。
この建物は1699年に建てられました。
”300年以上経つ”茅葺屋根の建物です。
②「大慈大悲観観世音菩薩像」がいらっしゃいます。
(観音菩薩について知りたい方はココをPUSH)
”毎週土・日曜日”に座禅会が開かれます。
どなたでも参加できます。
”夏目漱石”や”島崎藤村”、”三木清”も座禅したと言われています。
有名な三門です。
”総門”と”三門”と”仏殿”と”方丈“が一直線に並んでいます。
これは禅宗のお寺に多い配置です。
1282年にⒶ中国(元)との2度にわたる戦い(元寇)の戦没者を弔い、”平和な世の中が訪れてほしい”という願いと、
Ⓑ”禅を広めたい”という2つの願いから建てられました。
”鎌倉五山の第二位”の格式です。(禅宗寺院の格式を表したものです)
③「梵天」がいらっしゃいます
建長寺を守る”半僧坊大権現”が祀られています。
半蔵坊参道と呼ばれる”249段の階段”の先にいらっしゃいます。
半蔵坊参道を登り終えた高台から見える景色は、遠く”海”や”富士山”まで見渡せます。
鎌倉三名鐘[①円楽寺、②常楽寺(大船市)、③建長寺]の一つです。
鐘の大きさは”約2メートル”あります。
国宝(国の重要文化財)です。
屋根は”入母屋造”で銅板葺きです。
関東で一番大きい法堂です。
法堂は本来住職が説法をする場所ですが、現在は法要・講演・展覧会などに使われています。
禅の修行は塔頭・西来庵(せいらいあん)で行われているそうです。
国の重要文化財です。
(千手観音について知りたい方はココをPUSH)
鎌倉33観音・第28番です。
方丈にある門です。
16世紀の日本の屋根の建築様式で作られた、”漆塗りの4つの脚”がある門です。
1647年(室町時代)に造られました。
国の重要文化財です。
般舟三味院(はんじゅざんまいいん:京都にある天台宗のお寺です)から移築した”総門”です。
”方丈”(竜王殿)も同じく般舟三味院から移築されています。
三門の額に書かれている「巨福山」(こふくさん)」の意味は、「大きな福をもたらす寺」だと言われています。
”総門”も同じく般舟三味院から移築されています。
方丈の裏には”方丈庭園”が広がっています。
”柏槇(ビャクシン)”の木は、蘭渓道隆(らんけいどうりゅう:中国の宗の禅僧で初代住職)が植えたと言われています。
高さは”13メートル”、”樹齢は760年”と言われています。
(ビャクシンについて知りたい方はココをPUSH)
花言葉は「あなたを守ります」です。
県名木百選です。
市指定保存樹木です。
”高さが30M”あります。
「建長興国禅寺」の額がかかっています。
公開はされていませんが、三門の上層内部には”宝冠釈迦如来像”やを”十六羅漢像”、”五百羅漢像(銅造)”がいらっしゃいます。
国の重要文化財です。
(国の重要文化財について知りたい方はココをPUSH)
春には桜が、秋には紅葉がきれいに見えます。
建長寺を開山した(初代住職で中国の南宋の僧)”蘭渓道隆”(らんけいどうりゅう)が作った庭だと言われています。
「心のかたち」をした”心字池”(しんじいけ)があります。
国の史跡および名勝です。
拝観料:「大人」は500円、「子供(小中学生)」は200円です。
1253年に”北条時頼”(鎌倉幕府第5代執権)が、”蘭渓道隆”(らんけいどうりゅう:中国・南宋の禅僧)を招いて日本で初めて禅のお寺を建てました。
建長寺を建てる前は、”地獄谷”と呼ばれる刑場だったと言われています。
当時、その霊をともらうために地蔵菩薩を本尊とする伽羅陀山・心平寺が建っていました。
そのため建長寺は”地蔵菩薩を本尊”としています。
「総門」と「三門」と「仏殿」と「法堂」と「大庫裏」が”一直線に並んでいます”。
これは禅寺に多い配置です。
鎌倉五山の第一位の格式です。(禅宗寺院の格式を表したものです)
建長寺の境内は国の史跡に指定されています。
(史跡について知りたい方はココをPUSH)
建長寺が一番栄えていた時には、塔頭(小寺院)が49あったそうです。
その後1293年に起こった鎌倉大地震や火災で多くの塔頭を焼失してしまいます。
現在の塔頭の大半は、徳川幕府の援助により建てられたものだと言われています。
”建長汁(けんちん汁)”は建長寺発祥の料理と言われています。
増上寺(東京都港区芝にある徳川将軍家の菩提:増上寺)から移された”仏殿”です。
1647年(室町時代)に造られました。
唐門も同じく増上寺から移築されています。
②「千体地蔵菩薩立像」がいらっしゃいます
(地蔵菩薩について知りたい方はココをPUSH)
”鎌倉24地蔵・第9番です”
③「千手観音坐像」がいらっいます
(千手観音について知りたい方はココをPUSH)
④「伽藍神(がらんじん)」がいらっしゃいます
”足利一族のお墓”です。
岩肌に掘られた横穴式のお墓で”やぐら”と呼ばれています。
竹に囲まれて”お茶を飲む”ことができます。
”約2,000本”の孟宗竹(もうそうたけ)が茂っています。
この竹林の中には石仏や灯篭があり、散歩ができます。
(孟宗竹について知りたい方はココをPUSH)
”茶席(休耕庵)”も設けられています。
「座禅会」が”毎週日曜日に7時半”から行われています。
そのため朝7:00から7:30までにお越しください)
誰でも参加できます。
1334年に足利家時(足利尊氏の祖父)の支持を得て”天岸慧広(てんがんえこう)”が建てました。
”足利氏の菩提寺”です。
”ミシュラン・グリーンガイド・ジャポンで三つ星”を獲得しています。
②「聖観世音菩薩」がいらっしゃいます
”本堂の中にある右側の部屋”にいらっしゃいます。
”鎌倉33観音霊場・第10番”です。
③「普賢菩薩」がいらっしゃいます
(普賢菩薩について知りたい方はココをPUSH)
”鎌倉13仏・第4番”です。
40種類の2500株の”あじさい”を見ることができます。
見晴らし台からは鎌倉の海が見れます。
”回転式の書架”の中に経典が収められています。
1回転すると約5400巻もの仏教の経典を全部読んだのと同じ功徳があると言われています。
①正月の3ヶ日、②毎月18日、③4月8日、④8月10日
に回すことができます。
(阿弥陀如来について知りたい方はココをPUSH)
736年に”藤原房前”(ふじわら ふささき:藤原鎌足の孫)が徳道(とくどう)を初代住職に迎えて建てられました。
奈良の長谷寺に対し、”新長谷寺”とも呼ばれています。
Ⓐ”12月”に鎌倉ではここだけとなった「歳の市」が開かれます。
Ⓑ”5月”、”10月”の第三日曜日に「長谷の市」が開かれます。
721年”初代住職・徳道”が奈良の山中で見つけた楠の霊木から2体の十一面観音を造りました。
Ⓐ1体を”奈良の長谷寺の観音像”としました。
Ⓑ残りの1体を”鎌倉の長谷寺の観音像”としました。
鎌倉に長谷寺の観音像を祀った経緯は、祈請をして海に流したところ三浦半島の長井浦に流れ着いたそうです。
そのため現在の鎌倉の地に観音像を移し、本尊として祀って”長谷寺を建てた”と伝えられています。
わらじの長さは、1.8M、幅0.9M、重さ45kgあります。
このわらじの長さは、”大仏の耳の長さとほぼ同じ”だそうです。
一つの本堂に”如来が三尊”いらっしゃいます。
一つの本堂に、仏様の中で一番位が高い如来様が真ん中にいて、その左右にそれぞれ2番目に位が高い観音様がいらっしゃることが多いです。
そのため“如来が三尊いる”のは珍しいと言えます。
“阿弥陀如来”、”釈迦如来”、”弥勒如来”は、それぞれ”過去”・”現世・未来を司る仏様だとされています。
そのため「三世仏」と呼ばれています。
現在・過去・未来に渡って願いを聞いてくださると言われています。
(ビャクシンについて知りたい方はココをPUSH)
市の指定文化財です。
非公開です。
智慧の力で人々の悟りを開く手伝いをし、迷いを除くと言われています。
特に老いによる悩みの手伝いを得意とされています。
虚空とは空間のことです。
宇宙のように無限に果てしなく広がる大きな”智慧”と”福徳”で、あらゆる願いを叶えると言われています。
民間信仰では、”智慧抜けの仏様”として信仰されています。
海の近くにあって見晴らし台があるため、”江ノ島”や”七里ガ浜”、”富士山”を眺められます。
鎌倉のお寺や神社から”彫刻”や”絵画”、”仏像”、”工芸”などの文化財を預かって保管しています。
たくさんのこれらの重要文化財の一部を展示しています。
御利益
火災除け
御利益
農業や漁業、衣食住の産業の守り神、開運招運、厄除け
江ノ島神社の末社です。
辺津宮から中津宮へ向かう途中にあります。(八坂神社のすぐ隣にあります)
②ご祭神
建御名方神(たけみなかたのかみ)
別称:お諏訪さま(おすわさま)、武南方神
御利益
五穀豊穣、国土安寧、商売繁盛、交通安全、開運招福、必勝祈願
③ご祭神
日本武尊 (やまとたけるのみこと)
別称:小碓命 (おおすみのみこと)、倭建命 (やまとたけるのみこと)、大鳥 (おおとり)、鷲 (おおとり)、白鳥社系 (しらとり)
(日本武尊について知りたい方はココをPUSH)
御利益
国土安寧、五穀豊穣、商売繁盛、出世、開運招福、厄除け、交通安全、合格祈願
④ご祭神
歳徳神 (としとくじん)
別称:御歳神 (みとしのかみ)、年神 (としがみ)、大歳神 (おおとしかみ),
お正月様 (おしょうがつさま)、恵方神 (えほうがみ)
御利益
商売繁盛、家内安全、開運招福、厄除け、夫婦円満、縁結び
ご祭神
大物主神(おおものぬしのかみ)
御利益
航海安全、水難除け
ご祭神
(稲荷三神)
⓵ 宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)
別称:倉稲魂命(うかのみたまのみこと)、稲荷神(いなりのかみ)、倉稲魂神(うかのみたまのかみ)② 大宮能売神(おおみやのめかみ)
⓷ 佐田彦神(さたひこかみ)
(宇迦之御魂神について知りたい方はココをPUSH)
御利益
五穀豊穣、商売繁盛、家内安全、芸能上達
ご祭神
綿津見神(わたつみのかみ)
別称:大綿津見神(おおわたつみのかみ)、少童命(わたつみのみこと)、海神(わたつみ、わたのかみ)、海神豊玉彦(わたつみとよたまひこ)
御利益
水難除け、航海安全、豊漁
ご祭神
宇迦之御魂神 (うかのみたまのかみ)
別称: 倉稲魂神(うかのみたまのかみ)、倉稲魂命(うかのみたまのみこと)、稲荷神(いなりのかみ)
(稲荷神社について知りたい方はココをPUSH)
御利益
五穀豊穣、産業興隆、商売繁盛、家内安全、芸能上達
ご祭神
火之夜藝速男神 (ひのかぐつちのかみ)
別称:加具土神 (かぐつちのかみ)、加遇槌命 (かぐつちのみこと)、火産霊神 (ほむすびのかみ)、火牟須比命 (ほむすびのみこと)
御利益
鎮火 火難除け 郷土守護
ご祭神
第六天神
御利益
厄除け
御利益
農耕 五穀繁盛
御利益
国土安寧、出世、開運、商売繁盛、厄除け、病学問 病気平癒
御利益
国土安寧、出世、開運、商売繁盛、厄除け、病学問 病気平癒
ご祭神
御霊神社の近くに巨石があったために、多くの船が座礁して死傷者がでたそうです。そこでこの巨石の一部を祀りご神体としたと言われています。
御利益
海上安全、豊漁
ご祭神
金毘羅神 (こんぴらしん)
別称 金毘羅大権現
御利益
海上安全 漁業 諸願成就 商売繁盛 雨乞い 金運 商売繁盛
御利益
五穀豊穣、産業興隆、商売繁盛、家内安全、芸能上達
御利益
商売繁盛 出世 五穀豊穣 家内安全 厄除け 長寿 病気平癒 縁結び 夫婦円満 安産 子宝
別称:建御雷神(たけみかづち)、鹿島さま (かしまさま)、鹿島神 (かしまのかみ)、布都御魂神 (ふつのみたまのかみ)
御利益
武道守護 芸能上達 国家鎮護 商売繁盛 安産 病気平癒 厄除け 長寿 縁結び 交通安全
御利益
学問 合格祈願 農業 病気平癒 詩歌 芸能上達
御利益
鎮火 火難除け 郷土守護
ご祭神
弁財天(べんざいてん)
(弁財天について知りたい方はココをPUSH)
御利益
智慧、財福、戦勝、子孫繁栄、音楽、技芸、弁舌
御利益:
豊水安全、商売繁盛、子宝、安産
ご祭神
水波能女神(みずはのめのかみ)
御利益
豊水安全、商売繁盛、子宝、安産
ご祭神
七福神(恵比寿、大黒、毘沙門、弁才天、福禄寿、寿老人、布袋)
御利益
財宝、長寿
御利益
五穀豊穣、産業興隆、商売繁盛、家内安全、芸能上達
御利益
御霊を鎮めるために祀られました
”後鳥羽上皇”の祟りを恐れて建立されました。
国の重要文化財です。
御利益
国土安寧、延命長寿、無病息災、開運招福、出世、病気平癒、厄除け、縁結び、夫婦円満、安産、漁業の神
ご祭神
建御名方神(たけみなかたのかみ)
御利益
五穀豊穣、国土安寧、商売繁盛、交通安全、開運、長寿、武運長久
ご祭神
宇迦之御魂神 (うかのみたまのかみ)
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御利益
五穀豊穣、産業興隆、商売繁盛、家内安全、芸能上達
ご祭神
宇迦之御魂神 (うかのみたまのかみ)
(稲荷神社について知りたい方はココをPUSH)
御利益
五穀豊穣、産業興隆、商売繁盛、家内安全、芸能上達
ご祭神
ヤマトタケルノミコト、イザナギノミコト、イザナミノミコト
御利益
国土安寧、五穀豊穣、商売繁盛、出世、開運、厄除け、交通安全、合格祈願
ご祭神
猿田彦命(さるたひこのみこと)
御利益
長寿、厄除け、商売繁盛、災難・方位除け
ご祭神 |
①八臂弁財天(はっぴべんざいてん)、 ②妙音弁財天(みょうおんべんざいてん)
|
御利益 | 智慧、財福、戦勝、子孫繁栄、音楽、技芸、弁舌 |
”弁天堂”とも言われています。
建物の形が”八角形”です。(法隆寺・夢殿をまねて造られたとも言われています)
② もう1つは”妙音弁財天”(みょうおうべんざいてん)です。
通称「裸弁財天」と呼ばれていて琵琶を抱えた名作です。
ご祭神:ウカタノミタマ(稲の神という女性の神)
御利益:五穀豊穣、商売繁盛、産業興隆、家内安全、芸能上達、
ご祭神:須佐之男命(スサノオノミコト)
別称:祇園さま(ギオンサマ)、天王さま(テンノウサマ)、牛頭天王(ゴズテンノウ)
(須佐之男命について知りたい方はココをPUSH)
ご祭神 |
①八臂弁財天(はっぴべんざいてん)、 ②妙音弁財天(みょうおんべんざいてん) |
御利益 | 智慧、財福、戦勝、子孫繁栄、音楽、技芸、弁舌 |
”弁天堂”とも言われています。
建物の形が”八角形”です。(法隆寺・夢殿をまねて造られたとも言われています)
御利益:水難、火難、病難除去、五穀豊穣
ご祭神 |
須佐之男命(スサノオノミコト) |
御利益 | 水難、火難、病難除去、五穀豊穣 |
ご祭神 |
①八臂弁財天(はっぴべんざいてん)、 ②妙音弁財天(みょうおんべんざいてん) |
御利益 | 智慧、財福、戦勝、子孫繁栄、音楽、技芸、弁舌 |
”弁天堂”とも言われています。
建物の形が”八角形”です。(法隆寺・夢殿をまねて造られたとも言われています)
江の島近海で、漁師が岩屋のそばに沈んでいる”御神像(須佐之男命)”を見つけました。
この御神像は大波で壊された”Ⓐ鎌倉・腰越にある小動神社の御神像”でしたが、”Ⓑ江ノ島に祀った”そうです。
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稲荷神社・・・
ご祭神:ウカタノミタマ(稲の神という女性の神)
御利益:五穀豊穣、商売繁盛、産業興隆、家内安全、芸能上達、
稲荷信仰は稲を荷うという意味から農耕の神様です。
お稲荷さんと呼ばれて親しまれています。
朱色の鳥居とキツネでもおなじみです。
全国に約2~4万社あり、日本で最も数が多い神社です。
発生は奈良時代とされています。
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ご祭神 | 須佐之男命(スサノオノミコト) 別称:祇園さま(ギオンサマ)、天王さま(テンノウサマ)、牛頭天王(ゴズテンノウ) (須佐之男命について知りたい方はココをPUSH) |
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聖徳太子は仏教を篤く敬い保護していました。
聖徳太子は伝来してきたばかりの仏教を篤く信仰していたため、仏教を日本に広めて盛んにした象徴となりました。
そのため”日本の釈迦“として、そして”観音菩薩の生まれ変わり”として仏教の宗派を問わず信仰されています。
聖徳太子像を安置した堂を「太子堂」と言います。
「聖観音菩薩」がいらっしゃいます。
(聖観音菩薩について知りたい方はココをPUSH)
観音菩薩 ・・・
正式名称は観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)または観自在菩薩(かんじざいぼさつ)と言います。
サンスクリット語で、観察する自在なる者という意味です。
自在の字が示す通り必要に応じて子どもにも女性にも自由自在に姿を変えられます。
これは人間を救う時、相手の立場や状況に応じてふさわしい形態をとるためです。
阿弥陀如来の部下です。
阿弥陀三尊とは①中央に阿弥陀如来②右側に観音菩薩③左側に勢至菩薩が並んでいることを言います。
観音菩薩と勢至菩薩は前世では兄弟。阿弥陀如来が両者の産母だったと言う説もあります。
この名を唱えれば、火難など7つの災難から逃れられ、念じれば3毒(欲深いこと・怒り・無知のことを言い、人間の苦しみ・諸悪の根源です)が離れると言います。
釈迦如来・・・
仏の中で唯一、実在の人間をモデルにしています。
お釈迦さまは仏教の開祖で、この世で初めて悟りの境地を体現された人物です。
如来の如とは真理を意味します。
つまり如来とは「真理を携えてこの世にやって来て、人々に真理を伝える者」の意味だと言われています。
「海上安全」、「大漁満足」の御利益があります。
(地蔵菩薩について知りたい方はココをPUSH)
「縁結び鈴」、「縁結び御守り」など縁を結ぶ御守りはたくさんあります。
”縁結びのお守り”を買うと縁結び石に結ぶ”赤い糸のついた五円玉”がいただけます。
”名物玉こんにゃく”です。
”鎌倉権五郎影政”が出掛ける時に、”弓を立てかけて休んだ松”だと伝えられています。
毎月一回、日曜日の朝8時ごろから開催されます。(台風や感染症などの恐れのない通常時)
”御良親王が閉じ込められていた土牢”があります。
鎌倉幕府の”初代征夷大将軍・源頼朝が寄付した”鳥居と言われています。
”茅の輪を八の字に3回くぐる”と、厄を落とすことができると言われています。
”松尾芭蕉の俳句”が刻まれた記念碑です。
三門は朱色です。
鎌倉地蔵・第7番です。
「内裏山:だいりさん」の額は、”新田義貞の直筆の写し”と言われています。
(地蔵菩薩について知りたい方はココをPUSH)
一遍(いっぺん)・・・ 鎌倉時代の僧です。
時宗を初めて説きました。
(一遍について知りたい方はココをPUSH)
1804~1818年に村民が作ったと言われています。
当時は”茅葺き”(かやぶき)で作られた三門だったそうですが、今は”瓦ぶき”(かわらぶき)で作られた三門になっています。
1278年に開基(寺を建てる時に経済支援をした人あるいは知名度があり力を貸した人)の”一遍”が、初代住職に”作阿(さくあ)”を招いて念仏のお寺(光触寺)を建てました。
②「観音菩薩」がいらっしゃいます
(観音菩薩について知りたい方はココをPUSH)
”快慶(かいけい)の作と伝えれらています”
(快慶について知りたい方はココをPUSH)
”国の重要文化財です”
③「勢至菩薩」がいらっしゃいます
(勢至菩薩について知りたい方はココをPUSH)
”湛慶(たんけい)の作と伝えられています”
(湛慶について知りたい方はココをPUSH)
”国の重要文化財です”
④ 「聖観世音菩薩立像」がいらっしゃいます
”平安時代の作と言われています”
”鎌倉33観音・第7番です”
”公開されていません”
⑤ 「阿弥陀如来の仏頭」がいらっしゃいます
(阿弥陀如来について知りたい方はココをPUSH)
”元・大慈寺の丈六堂の本尊だったと言われています”
”厨子(ずし:阿弥陀如来を収納している仏具)は、足利 持氏(あしかが もちうじ:室町時代の関東管領)から贈られたものだと言われています”
※本尊の拝観は、”10名以上”から見ることができます。
予約が必要です。
光触寺にあります絵巻「頬焼阿弥陀縁起:ほおやけあみだえんぎ」によりますと・・・
鎌倉時代、将軍に呼ばれて鎌倉に来ていた”運慶”は、町局(まちのつぼね)という裕福な女性に頼まれて阿弥陀三尊像を造りました。
ある時、町局に仕えていた万歳法師という名の僧が盗みの疑いをかけられてしまいます。
そして万蔵法師は罰として町局に頬へ焼き印を押されてしまいます。
しかし、頬には焼き痕が残りませんでした。
すると町局の夢に阿弥陀如来が現れて「なぜ、私の頬に火印を押すのか」と言われたそうです。
そのため町局は阿弥陀如来を確認してみると、頬に焼き痕が残っていたと言われています。
その後、町局は出家して岩蔵寺という名のお寺を建てて、阿弥陀三尊像を祀ったと伝えられています。
盗みの疑いをかけられた法師の代わりに、ほほを焼かれたという伝説から頬焼阿弥陀と呼ばれるようになったと言われています。
”鎌倉十井”(かまくらじっせい:鎌倉で良質の水が湧いたり、伝説の残る井戸)の1つです。
非公開です。
「善心廻幸」とは”善き心は幸せを招きかえる”という意味だそうです。
人の煩悩の数と同じ”108段の参道”があります。
非公開の本尊の”縁結び不動”の分身です。
パワースポットです。
三門の隣に”唐楓”(とうかえで)があります。
(トウカエデについて知りたい方はココをPUSH)
鎌倉市の天然記念物です。
祠堂の前に”ワビスケ”があります。
(ワビスケについて知りたい方はココをPUSH)
鎌倉市の天然記念物です。
お肉を使用していない精進料理の「お寺のカレー」があります。
「笑っているお地蔵さま」です。
(地蔵菩薩について知りたい方はココをPUSH)
”密室守厳”(みっしつしゅごん:初めてお寺を開いた僧、初代住持職)の木造がいらっしゃいます。
こじんまりとした茅葺屋根です。
”渋沢龍彦”のお墓があります。
(1928-1987)フランス文学者,小説家,エッセイスト。
”竺仙梵僊”(じくせん ぼんせん:中国が元の時代だった時にいらっしゃった臨済宗の高僧)が、この丘を気に入り名前をつけたと言われています。
「天柱」とは「世を支える道義」という意味だそうです。
浄智寺の後ろにある葛原ヶ岡・大仏ハイキングコースの途中にあります。
高さ21.6m、幹周2.42mある”タヒチガン”の木です。
「かながわ名木100選」です。
(タチヒガンについて知りたい方はココをPUSH)
甘露の井のお水と同じ水だそうです。
”北条重時(ほうじょう しげとき:鎌倉幕府2代執権・北条義時の三男)のお墓”と伝えられています。
高さ3.6Mの”忍性のお墓”の五輪の塔があります。
中には”忍性の遺骨”が納められています。
国の重要文化財です。
(国の重要文化財について知りたい方はココをPUSH)
4月8日に公開されます。
”藁ぶき”(わらぶき)の三門です。
江戸時代に造られた門です。
方丈(住職が生活している建物)の前に、”ビャクシンの古木”があります。
(ビャクシンについて知りたい方はココをPUSH)
市の天然記念物です。
”白山大権現”と”熊野大権現”を祀る神社があります。
(熊野神社について知りたい方はココをPUSH)
”毎週日曜日”に座禅会が行われています。
(7時30分に迦葉堂(かしょうどう)で行われます。そのため朝7:00から7:30までにお越しください)
誰でも参加できます。
”茅葺(かやぶき)の鐘楼”です。
1570年頃にあった茶室を再建したものです。
”天照”、”春日”、”八幡”の三神がいらっしゃいます。
(神明社について知りたい方はココをPUSH)
ご祭神 |
天照大神 (あまてらすおおみかみ)
|
御利益 |
あらゆる困難や障害を乗り越えるための御神徳を授けてくれます |
”鎌倉24地蔵・第22番”です。(地蔵菩薩について知りたい方はココをPUSH)
一遍(いっぺん)・・・ 鎌倉時代の僧です。
時宗を初めて説きました。
(一遍について知りたい方はココをPUSH)
”月影地蔵(つきかげじぞう)”がいらっしゃいます。
鎌倉地蔵・第21番です。
(地蔵菩薩について知りたい方はココをPUSH)
”導地蔵(みちびきじぞう)”がいらっしゃいます。
鎌倉24地蔵・第20番です。
(地蔵菩薩について知りたい方はココをPUSH)
”身延山から日蓮の骨の一部を分けてもらい”、そのお骨を祀っています。
”文化人のお墓”が多いです。
”西田幾多郎”、”鈴木大拙”、”高見順”、”小林秀雄”等
ご祭神 | 火之迦具土神(ほのかぐつちのかみ) |
御利益 | 火災除け |
”天照”、”春日”、”八幡”の三神がいらっしゃいます。
(神明社について知りたい方はココをPUSH)
ご祭神 |
天照大神 (あまてらすおおみかみ)
|
御利益 |
あらゆる困難や障害を乗り越えるための御神徳を授けてくれます |
”開山・良忠上人”が子狐を助けました。
すると夢で親狐が現れお礼に薬種をくれました。
そしてこの薬種をまいて疫病にかかった人にその葉をあげたところ、疫病が治ったと言われています。
(稲荷神社について知りたい方はココをPUSH)
”富士山”や”海”が見えます。
「かながわの景勝50選」の景色です。
”枯山水庭園”です。
三尊五祖の仏様・・・
Ⓐ”三尊”とは、極楽浄土の阿弥陀三尊のことです。
阿弥陀如来、観音菩薩、勢至菩薩を言います。
Ⓑ”五祖”とは極楽浄土を説いていた浄土教の釈尊、善導、法然、鎮西、記主を言います。
江戸の”名庭師・小堀遠州”が造ったと言われています。
(小堀遠州について知りたい方はココをPUSH)
Ⓑ庭園内には「大聖閣(たいしょうかく)」と言われる”お堂”もあります。
浄土宗の宗祖(1祖)・”法然上人の800年大御忌”として建てられました。
2階には阿弥陀三尊がいらっしゃいます。
全国にある”浄土宗のお寺の十夜法要の発祥の地”です。
1495年から始まり”500年以上続いている”そうです。
”100以上の石塔”があります。
”光明寺の檀家・陸奥国磐城”、”日向延岡藩主・内藤家一族”の墓所です。
このように”大名のお墓が一か所に集まっていること”は珍しいそうです。
”鎌倉市指定の史跡”です。
”鎌倉24地蔵・第22番”です。(地蔵菩薩について知りたい方はココをPUSH)
1847年に造られました。
”ケヤキで造られた瓦葺き(かわらぶき)の鐘楼”です。
1847年に造られました。
”鎌倉で最も大きい三門”です。
2階には釈迦三尊、四天王、十六羅漢がいらっしゃいます。
(20名以上の希望により、理由によっては拝観できる場合があるそうです。HPに記載されています。)
”開山”や”歴代法主の御影”を祀っています。
”完全予約制の精進料理”が食べられます。
1243年に浄土宗3祖である”良忠上人(りょうちゅう)”が建てました。
Ⓐ 1495年には時の天皇や上皇により”勅願所”(鎮護国家・玉体安穏)とされました。
Ⓑ 江戸時代には徳川家康により念仏信仰と仏教研鑽の”根本道場”とされました。
1698年に”本堂”が建てられました。
”鎌倉で一番大きい本堂”です。
国の重要文化財です。
(国の重要文化財について知りたい方はココをPUSH)
⑤「法然上人像」
がいらっしゃいます
Ⓐヒンドゥー教の神で創造と破壊を司るシヴァ神の化身とⒷ神道の大国主神(おおくにぬしのかみ)が結びついた豊穣の神様です。
御利益:財福、農耕の神
天台宗の寺院の台所に祀られるようになったと言います。
体が黒いので大黒天という名前がついたと言われています。
背中の袋には七宝と言われる人徳が入っています。
寿命、人望、清麗、威光、愛嬌、大量など精神的な宝が入っていると言います。
左肩には大きな福袋を担ぎ、右手には打ち出の小づちを持ち米俵を踏んでいます。
ツバキ科ツバキ属です。
花は開き切らずに、一重で筒型に咲きます。
花の色は白、桃、紅色です。
3~4月に花が咲きます。
佗(わび)と好(すき)(数奇)の合わさった名前だそうです。
茶道の茶室によく飾られる、代表的なお花です。
ムクロジ科カエデ属 の落葉樹です。
樹皮に独特のシワがあります。
樹皮は灰褐色の色をしていて、ささくれているように縦に剥がれます。
葉っぱの形は、付け根からミツマタに分かれています。
秋には黄葉、紅葉を見ることができます。
病害虫や大気汚染に強いため、公園の木として、街路樹に植えられます。
マキ科マキ属の常緑針葉高木です。
高さは20メートルくらいになる高木です。
別名:イヌマキ。クサマキ。
切ると断面から独特な臭いがするためクサマキとも言います。
マキには色々な種類がありますが、イヌマキが一般的だと言われます。
コウヤマキより成長が早いために流通量が多く安価です。
そのためコウヤマキは上品なイメージを持たれホンマキとも呼ばれています。
樹皮は灰白色で浅く縦裂します。
5~6月に花が咲きます。
雄株には黄色の花が、雌株には先端に胚珠のある花が咲きます。
雌花は10月ごろに種ができ、紫色の花托が見られるようになります。
防火・防風・防音の用途のために庭木あるいは屋敷林、畑の防風林として植えられることもあります。
空海 ・・・
平安時代初期の僧です。
(諡号:しごう 貴人、僧侶などの生前の行いを褒め称える名前 :弘法大師)
真言宗を最初に説きました。
著作家、書道家でもあり、書道ではその時代の最も優れた3人の1人と言われています。
遣唐使として中国から真言密教を伝えました。
宮中の真言院、東大寺の真言院、東寺、高野山(こうやさん)の金剛峯寺(こんごうぶじ)を開きました。
また日本で最初に庶民のための無料の学校・綜芸種智院(しゅげいしゅちいん)を開きました。
高野山に62歳で入定しています。(即身仏)
祈願寺(きがんじ)・・・
仏様に願い事をするお寺を祈願寺 と言います。
鎌倉時代に活躍していた彫刻家です。
運慶の長男です。
作品には運慶のような力強さと、快慶のような繊細さが合わさった穏やかな特徴が見られます。
有名な作品として①高知県にある雪蹊寺(せっけいじ)の毘沙門天・三尊像、②京都にある三十三間堂の中尊・千手観音像などがあります。
鎌倉時代の僧です。
時宗を初めて説きました。
通称は円照大師(えんしょうたいし)、証誠大師(しょうじょうだいし)です。
念仏札”を人々に配る”遊行”と”踊り念仏”を行い布教しています。
キク類キクセイ科ソケイ属の半つる性落葉樹です。
中国名は「迎春花」と言います。
早春に黄色い花を咲かせます。
黄梅の花は6枚、梅の花は5枚です。
花には香りがほとんどありません。
枝は垂れ下がっています。
実がみのらないために、挿し木や株分けをして増やします。
生薬として「花」は解熱や利尿効果として使われることがあるそうです。
「葉」はできもの、腫れ物、打ち傷、切り傷に使われることもあるそうです。
バラ科サクラ族の落葉広葉樹です。
コバザクラの別名です。
花は一重です。
関東では4月の上旬の春と、10~12月の冬にかけて咲く二季咲きが特徴です。
咲き始めは薄いピンクで、後に白色に花の色が変わります。
ご祭神:田心姫神(たごりひめのかみ)、湍津姫(たぎつひめのかみ)、市杵嶋姫(いちきしまひめのかみ)の宗像3姉妹です。
御利益:海上安全、商売繁盛、交通安全、学問向上、金運、必勝祈願、子宝、音楽、芸能、弁舌、
弁財天は、”神仏習合により神道で美人と人気のある市寸嶋比売命(いちきしまひへのみこと)に取り込まれ”て仏教の仏様でもあり神道の神様ともなりました。
道主貫(みちぬしのむち)という名前も持っています。
貫(むち)とは最も貴い神様という意味で、あらゆるすべての道(武道、茶道、書道、人生等)を導いてくださると言われています。
人生の岐路に立ったら行きたい神社です。
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約3億年前、恐竜が生きていた時代から存在している世界で最古の現生樹種の1つであり「生きた化石」と呼ばれています。
太古の昔には世界中で生息していましたが、現在では今ある中国原産のイチョウの1種類だけだと言われています。
そのため国際自然保護連合(IUCN)のレッドリストの絶滅危惧種に指定されています。
寿命が長く1000年以上生きるイチョウも珍しくないそうです。
樹皮の厚さと含んでいる水分の多さから、長い時代を生き残り続けることができたのではないかと言われています。
お寺や神社、公園や街路樹に植えられています。
また実や葉は、食用あるいは薬効があるために漢方として用いられています。
一宮(いちのみや)・・・
平安時代後期、”ある地域”の社格が一番高い神社を表しています。
”ある地域”とは、律令制に基づいて定められた国(地域)を指します。
現在は”都道府県”を使用していますが、飛鳥時代から明治初期まで日本の地理的区分の基本単位は”律令制”でした。
当時、各々の国で任命された国司は、一宮、二宮、三宮・・・と社格が高い神社から順番にお参りしていたそうです。
モクレン科モクレン属の常緑高木です。
神社に植えられ、神事に使われることがあります。
日本硬貨の1円玉に描かれている植物です。
3~4月になると約3センチほどの紫紅色を帯びた黄白色の花が咲きます。
中国の神様です。
御利益・・・財産、幸福、長寿
中国で人生の3大目的とされる①福(幸福)②禄(出世)③寿(長寿)のすべてを持っている福の神様です。
中国の道教の長寿神です。
中国の道教の道士が起源とも言われています。
南極星の化身という説もあります。
背が低く、頭、ひげが長いです。
経巻という巻物を結んだ杖を持ち、鶴をともないます。
クスノキ科タブノキ族の常緑高木です。
4~5月に淡い黄緑色の花が咲きます。
8~9月に黒紫色の実がつきます。
潮風にも耐えることから海岸沿いの防風林として植えられることもあります。
樹皮から染料を取ることができます。
また樹皮や葉っぱに含まれる特徴的な臭いのする粘液を粉末にして、蚊取り線香の材料にもします。
Ⓐ100日間にわたり
Ⓑ虚空蔵菩薩の真言を100万回唱える
修業を言います。
この修業をすると”あらゆる仏教の経典を理解することができる”と言われています。
護摩供養が1月、5月、9月の13日に行われます。
面掛行列(めんかけぎょうれつ)
面掛行列と言われる奇祭です。
この面掛行列は神奈川県指定無形民俗文化財で、江戸時代から続いていると言われます。
10名がそれぞれ翁、鬼、異形、鼻長、カラス天狗、爺、火吹男、福禄寿、おかめ、女の面をつけて行進します。
毎年9月18日に御霊神社で行われる「例大祭」の中で行われます。
その後に神輿も続きます。
ご祭神:菅原道真(学問の神)
御利益:合格祈願、歌、文筆、芸能、学問上達、病気平癒、農業守護
幼少の頃より”和歌を謳われるほどの天才”でありながら、”弓の名人”でもありました。
Ⓐそのため寺子屋に道真公の姿が描かれた御神影が掲げられるようになり、「学問の神」として祀られるようになりました。
Ⓑ弓の達人であられたことから「武芸の神様」としても有名です。
Ⓒ菅原道真がこの世に怒りを抱いたために「天変地異を起こす天候を司る神」とも考えられました。
これが火雷天神・農業の神と称されるようになった理由です。
太宰府天満宮・・・天満宮の総本宮です。
天満神社、天満宮、天神社の神様として祀られています。
天神社と名のつく約12000社の総本社です。
京都市に鎮座しています。
菅原道真を祭神とする神社のほとんどは①福岡の「太宰府天満宮」、と②京都の「天野天満宮」から菅原道真の分身・分霊を移して祀ったと言われます。
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八坂神社・・・
ご祭神:仏教系の神である牛頭天皇と、神道の神スサノオノミコトが結びついて祇園社の祭神になったそうです。
(両者は荒れ狂うと人間に害を与える暴れん坊という共通点があるそうです。)
御利益:厄除け
疫病除けの神社として有名です。
商売、芸事の上達にもご利益があるとされています。
そのため舞子さんも多く訪れます。
かつて感神院、祇園社と呼ばれていました。
「祇園さん」、「天王さん」、「八坂さん」、「津島さん」と呼ばれる神社の総本社です。
日本三大祭りの一つ、”祇園祭”が行われる神社です。
氷川神社・・・
ご祭神:須佐之男命(すさのおのみこと)
御利益:厄除け、五穀豊穣、学問上達、縁結び
聖武天皇の時代に、“武蔵の国で最も重要な神社”とされていました。
現在は”都道府県”を使用していますが、飛鳥時代から明治初期まで日本の地理的区分の基本単位は”律令制”でした。
この律令制の地理的区分の1つに「武蔵の国」があり、現在の”東京都”、”埼玉県”、”神奈川県の川崎市”、”横浜市”がこれにあたります。
そのため関東近辺を中心に信仰が広がっています。
現在では”スサノオノミコト”を主祭神としています。
三峯神社・・・
ご祭神:ヤマトタケルノミコト、イザナギノミコト、イザナミノミコト
御利益:国土安寧、五穀豊穣、商売繁盛、出世、開運、厄除け、交通安全、合格祈願
眷属は狼です。
ヤマトタケルノミコトの道案内を務めた”狼”は、”災いを除いて守ってくれる神様”だと言われています。
神社には講が”大小3000近く”あります。
”講”とは信仰によって結びついた集団をいいます。
規模は数人から100人規模まで様々なものがあります。
ご祭神:第15代応神天皇、八幡大神(別称:誉田別尊(ほんだわけのみこと)、ヤマトタケルノミコトの孫神)
御利益:国家鎮護、商売繁盛、開運招福、必勝祈願、合格祈願、交通安全、厄除け
初代・天皇を祀っている神社だと言われています。
そのため伊勢神宮に次いで天皇に崇拝されています。
皇室に出自をもつ”源氏”が、石清水八幡宮を”氏神”としていました。
そして源氏が”八幡神を氏神”として鎌倉幕府を開いたため、しだいに武士の間で八幡宮を”いくさの神”として信仰するようになりました。
本宮・・・宇佐神宮(大分県宇佐市にあります。全国に約4万4000社ある八幡神社の総本宮です)
スダジイ
ブナ科シイ属の常緑広葉樹です。
別名はシイやシイの木、イタジイ、ナガジイ、ホソバズタジイと言います。
材木として使いづらいため、”樹齢500年”を超すような巨木が残っていることが多いです。
そのため「鎮守の森」の代表的な木となっています。
地方では寺やお寺に、都市部では「お屋敷」や学校等に広く植えられています。
オオムラサキツツジ
ツツジ科ツツジ類・常緑広葉樹の低木です。
別名は「オオムラサキ」と言います。
一般にツツジといえば”オオムラサキツツジ”を言うことが多いそうです。
”園芸品種のため”、野山にはないそうです。
この花は10㎝ほどの大きさで、ツツジの仲間の中では一番大きい花”と言われています。
”4月から5月”にかけて”紫色の花”が咲きます。
”暑さや寒さに強く丈夫”です。
また大気汚染や都市部の公害にも強いと言われています。
そのため道路や公園でよく目にすることがあります。
そして植木として初心者に好まれています。
”所有者が自ら申請する”ことで、文化財登録原簿に登録される”有形の文化財”です。
”①建造物”と”②美術工芸品”の2種類あります。
(”国宝”や”重要文化財”などは所有者ではなく国が文化財を指定します。)
”文化財保護法”に基づいて文部科学大臣が指定する”歴史上重要な”事件”や”施設”などのあった場所を言います。
”貝塚”、”城跡”、”集落跡”、”古墳”などの遺跡があります。
叡尊
諡号(しごう)貴人、僧侶などの生前の行いを褒め称える名前:興正菩薩(こうしょうぼさつ)
鎌倉時代の僧です。
”真言律宗”を最初に説きました。
タチヒガン(立彼岸)
バラ科サクラ族の落葉高木です。
別名はアズマヒガン、ウバヒガンと言います。
春の彼岸の頃に薄紅色の花が咲きます。
桜の中では高木で樹高は12~20メートルになります。
中には30メートルを超す桜もあります。
また長寿でもあり樹齢が1000年を超すものもあります。
跋陀婆羅尊者・・・
インドの僧です。
仏典を訳し如来蔵思想や唯識思想を中国に広めるうえで重要な役割を果たした僧です。
浴室で悟りを開かれたそうです。
古くから 頭・目・肩・腰・脚 の病の治癒に御利益があると言われています。
菩提寺 (ぼだいじ) ・・・
祖先から崇拝しているお寺に、先祖からの代々の位牌を納めているお寺を言います。
菩提所と言われることもあります
智海心慧(ちかいしんえ)・・・
鎌倉時代の僧です。
”忍性の弟子”で、字(あざな)は心慧(しんえ)です。
忍性(にんしょう:通称は良観)・・・
鎌倉時代の真言律宗の僧です。
社会事業家でもあります。
貧しい人やハンセン病患者など社会的弱者の救済のほか、道路・橋を造る、などにも尽力されていたそうです。
はるか西の彼方の極楽浄土に住む阿弥陀如来です。
南無阿弥陀仏と唱えれば生前に悪い行いをした人でも、死んだ時に極楽浄土に連れていってくれると言われています。
信仰深かった者には菩薩を従えてにぎやかに迎えに来てくれますが、そうでない者には姿を見せず声の響きだけで導くそうです。
はるか昔、インドのある国王が人々を救いたいと発起し王位を捨て、宝蔵と名乗り修行僧になりました。
そして長い修業の末、西の彼方に極楽浄土を作り阿弥陀如来となったと言われています。
正式名称は観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)または観自在菩薩(かんじざいぼさつ)と言います。
サンスクリット語で、観察する自在なる者という意味です。
自在の字が示す通り必要に応じて子どもにも女性にも自由自在に姿を変えられます。
これは人間を救う時、相手の立場や状況に応じてふさわしい形態をとるためです。
阿弥陀如来の部下です。 阿弥陀三尊とは①中央に阿弥陀如来②右側に観音菩薩③左側に勢至菩薩が並んでいることを言います。
観音菩薩と勢至菩薩は前世では兄弟。阿弥陀如来が両者の産母だったと言う説もあります。
勢至菩薩・・・
智慧の力で人々の悟りを開く手伝いをし、迷いを除くと言われています。
特に”老いによる悩み”の手伝いを得意とされています。
勢至菩薩の姿は観音菩薩とほぼ同じです。
見分ける違いは、頭の宝冠にあります。
観音菩薩の宝冠には化仏(けぶつ)がありますが、勢至菩薩の宝冠には宝瓶(ほうびょう)があります。
この宝瓶には水の瓶がついていて、知恵の水が入っています。
如意輪観音は一面六臂の姿が多いです。
蓮の上で右膝を立てて、両足の裏を合わせ、また右第1手で頬に触れています。
ノッている観音菩薩です。
「如意」とは、あらゆる願い事を叶えてくれる如意宝珠という「玉」のことを言います。
「輪」とは、煩悩を破壊してくれる法輪という「輪っか」のことを言います。
すべてのものは、玉と輪っかの法則でできているという真理を具現化されています。
インドの神様です。
御利益:財や富をもたらすほか、音楽、芸能、学問の神としても知られています。
芸術や美的センスの神様です。
ヒンドゥー教由来の女神で、美しさの象徴です。
宝冠を被り、胸飾りをつけ琵琶を持っています。
河を神格化し、
水の神と言う性質から全国の島や水辺に弁天堂が造られました。
弁財天は、”神仏習合により神道で美人と人気のある市寸嶋比売命(いちきしまひへのみこと)に取り込まれ”て仏教の仏様でもあり神道の神様ともなりました。
日本で一番多い仏像が、地蔵菩薩です。
たいていの仏様はお寺に安置されていますが、地蔵菩薩は屋外で雨ざらしになっていることが多いです。
姿はお坊さんの姿をしていて、手には錫杖(しゃくじょう)を持っています。
地蔵菩薩の主な役割は2つあります。
1つ目は、地獄へ堕ちた死者の救済です。
①親より先に死んだ子どもは、三途の川のほとりの賽の河原で石を積み続けることになります。
残された子ども達に何もできない親の代わりに地蔵菩薩は賽の河原までおりていき、その苦役から子どもたちを解放してくれると言います。
そのため水子供養では、地蔵菩薩が本尊となっています。
②悟りを得られず地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天の六道の中を輪廻する人を、地蔵菩薩は救ってくれると言います。
そのため六地蔵は生まれました。
2つ目の役割は、お釈迦さまがこの世を去った如来のいない現在の無仏時代から、56億7千万年後に弥勒菩薩が現れる時まで地蔵菩薩が人々を救い歩くことです。
例えば身代わり地蔵やとげぬき地蔵、子守地蔵などがいらっしゃいます。
別名:小堀政一
江戸時代の大名で3大茶人の一人です。
遠州流を作りました。
茶道の弟子に徳川家光、沢庵宗彭(たくあんそうほう)がいます。
また建築・庭園・陶芸にも携わっています。
有名な作品として大徳寺・孤篷庵茶室(こほうあんちゃしつ)と庭園,南禅寺・金地院庭園などがあります。
神明社、皇太神社・・・
ご祭神:天照大神(あまてらすおおみかみ)
別称:お伊勢さま、神明さま、天照皇大神(あまてらすすめらおおみかみ)
御利益:あらゆる神徳を発揮する万能の神様です。
中でも受験や新しい仕事など普段以上にエネルギーが必要なお願い事に、力を貸していただけます。
①日本中の神々を統率される最高峰の神様です。(日本の総氏神)
②天皇家の先祖と言われています。(皇祖神)
③天照大神は太陽の神様です。(太陽神)
「一生に一度はお伊勢参り」と言われています。
日本が日本家屋ばかりだったころ、床の間には「天照坐皇御神」の掛け軸が掛けられていたと言います。
神明社、皇太神社の総本社は、伊勢神宮の内宮(三重県伊勢市)です。 伊勢神宮は、皇大神宮(内宮)と豊受大神宮を中心とした神殿群の総称を言います。 14の別宮、116の摂社や末社が集まる神域は神道の聖地です。
普賢とは「見えている部分や見えていない部分はもちろん、現在・過去・未来においてすみずみまで」という意味です。
行の普賢と言われるように実践する菩薩です。
あらゆる時あらゆる場所に現れて人々を救うと言われています。
法華経を護る菩薩です。
法華経は女性も浄土に往生できると説いていることから、平安時代以降女性の信仰を集めています。
イネ科の多年草です。
日本ではタケ類の中で最も高く25Mに達するものもあり、一日に119CM伸びたという記録もあるそうです。
花は約70年に1度咲くと言われています。
茎は筆立や盆などの竹細工に使われます。
中国原産で、良質のタケノコが採れます。
和名は、中国の故事にある冬に母親のために筍を掘り採った孝行者の孟宗という人物からつけられたそうです。
鎌倉時代初期に仏像などを造って活躍していた彫刻家です。
作品は力強い表情、風貌(ふうぼう)、堂々たる体躯(たいく)、等の男性的な特徴が見られます。
有名な作品として
①奈良県にある円成寺の大日如来、②静岡県にある願成就院の阿弥陀如来、不動明王、毘沙門天、③神奈川県にある常楽寺の阿弥陀三尊、不動明王、毘沙門天、④高野山・不動堂の八大童子、⑤奈良県にある興福寺・北円堂の弥勒、・無著(むじゃく)・世親(せしん)、⑥快慶と一緒に作ったと言われる東大寺の金剛力士像があります。
鎌倉時代に活躍していた彫刻家です。
運慶の父親の弟子と言われています。
作品には絵画的で繊細な特徴が見られます。
浄土信仰を信じていたため、たくさんの阿弥陀如来像を造ったそうです。
有名な作品として①アメリカ・ボストン美術館の弥勒菩薩立像、②兵庫県にある浄土寺の阿弥陀三尊像、③奈良県にある東大寺の僧形八幡神像、④同じく東大寺・俊乗堂の阿弥陀如来像、⑤同じく東大寺・公慶堂の地蔵菩薩像など。
ご祭神:主祭神・家津美御子大神:けつみみこのおおかみ(熊野本宮大社)
熊野速玉大神:はやたまのおおかみ(熊野速玉大社)
熊野夫須美大神:うすみのおおかみ(熊野那智大社)
御利益:国土安寧、延命長寿、無病息災、開運招福、出世、病気平癒、厄除け、縁結び、夫婦円満、安産、漁業の神
「熊野三山」とは熊野本宮大社、熊野速玉神社、熊野那智大社の総称です。
人々は熊野三山を、”神様”と”仏様”の両方から救済を得られる場所として篤く信仰していました。
そして”蘇りの聖地”と呼んでいました。
①熊野速玉神社は”過去”を振り返る神社、②熊野那智神社は”現在”の自分の立ち位置を確認する神社、③熊野本宮大社は新たな人生へと出発するため”未来”を授かる神社と伝えられています。
これら三社は過去・現在・未来をそれぞれ担っていて、悩みや苦しみを乗り越えて新しい目標に向かって歩き出せる神社だと言われています。
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ヒノキ科の常緑針葉樹の一属です。
葉の形状が場所や樹齢によって異なります。
場所によって針状の葉や、鱗状の葉が生えます。
鱗状の葉を「柏」、針状の葉を「槇」として、併せて柏槇(びゃくしん)と呼びます。
花は4月ごろに咲きます。
雌雄いずれも枝先に花が咲きます。
雄株に咲く花は茶色で、雌株に咲く花は黄緑色です。
秋に球形の実がなります。
盆栽とし栽培されることが多いです。
私たちが生きているこの「現世」で支援をしてくださる仏様です。
東方の浄土に住み、人々を病や障害から救ってくれます。
仏教では東の彼方に東方浄瑠璃世界という浄土があるとされています。
この浄瑠璃世界の守り主が薬師如来、別名:薬師瑠璃光王如来です。
日光菩薩、月光菩薩を脇侍とし十二神将を従えていることも多いです。
(1275〜1351年)は臨済宗の禅僧です。
「枯れ山水の生みの親」と言われています。
また作庭家・漢詩人・歌人です。
①円覚寺、南禅寺、浄智寺など五山(禅の一番上の格にあるお寺)の”住職に8度”なりました。
また天龍寺、恵林寺、西芳寺など”お寺を6つ”造りました。
そして造ったお寺にそれぞれ庭園をつくりました。
②鎌倉時代には北条高時から、南北朝時代には後醍醐天皇や足利尊氏と弟の足利直義から深く尊崇されました。
公家の後醍醐天皇、武家の足利氏の帝ら南北両朝から”国師の号(高僧の尊称)を7つ”賜りました。
これにより世に〈七朝の帝師〉と称えられました。
③禅庭・枯山水を生み出した作庭家として世界でも有名です。
美濃の虎渓山永保寺、甲斐の恵林寺、京の天龍寺、西芳寺の庭園、鎌倉の瑞泉寺庭園など国の特別名勝に指定されています。
④”漢詩人”でも有名です。
和歌・勅撰和歌集に11首作品が載っています。
千手観音(正式名称:千手千眼観自在菩薩)
千は数ではなくて無限という意味です。
千本の掌に一つずつ眼を持ち、千本の手と千本の眼であますところなく苦しみを見つめると言われています。
そのため一人一人悩みや苦しみが違うために、救いを求める人に応じた無限の姿で現れ無限の慈悲で救ってくれると言われます。
病気平癒や延命、減罪の功徳
不動明王は智慧から生まれたため、真実を語ると言われています。
表情とお姿は「怒り」の表現をされています。
これは憤怒の表情とお姿で、人々に寄り付く悪(煩悩や悩み)を滅するためと言われています。
またその怒りの内には無限の慈悲が溢れており、
そのありあまる慈悲の心は、背中から燃え上がる炎となって表れているとも言われています。
右目を天に左目を地に向ける天地眼で世界の全てを見渡しています。
恵比寿(日本の神)・・・
七福神の中で唯一の日本由来の神様です。
御利益: 開運 商売繁盛
漁業の神で特に商売繁盛の神様とされます。
神様のイザナギ命、イザナミ命が一番初めに産んだ蛭子神とされます。
西宮神社(兵庫)・・・えびす神を祀っています。福男選びのある神社です。
右肩には釣り竿、左脇には網を抱えています。
えびす顔と呼ばれる笑顔がトレードマークです。
未来で人々を救うために、目をつむり深い瞑想をされている仏様です。
56億7000万年後の未来に現れる仏様です。
お釈迦様の愛弟子であり「いずれお前が私の代わりに人々を救済するのだ」と後事をお釈迦様から託されている存在です。
そのため第二のお釈迦様と言われています
現在は如来よりランクが下の菩薩ですが、いずれ如来に昇格できることをお釈迦様より保証されています。
ゆえに弥勒菩薩は菩薩の中でも一種特別な地位を占めており、未来仏と呼ばれています。
ミロクとはサンスクリット語で友や味方という意味です。
マツ目コウヤマキ科の日本の固有種です。
常緑針葉樹で高く伸びます。
ヒマラヤスギやナンヨウスギと並んで世界三大美樹のひとつに数えられています。
水に強くて朽ちにくいため、湯船材や橋梁材として使われます。
コウヤマキという和名は、高野山真言宗の総本山に多く生えているためにつけられたそうです。
また、高野山では霊木とされてるそうです。
ヒノキ科の常緑針葉樹の一属です。
葉の形状が場所や樹齢によって異なります。
場所によって針状の葉や、鱗状の葉が生えます。
鱗状の葉を「柏」、針状の葉を「槇」として、併せて柏槇(びゃくしん)と呼びます。
花は4月ごろに咲きます。
雌雄いずれも枝先に花が咲きます。
雄株に咲く花は茶色で、雌株に咲く花は黄緑色です。
秋に球形の実がなります。
盆栽とし栽培されることが多いです。
奈良時代の仏教の高僧です。
仏教を広めることを禁止されていた時代に、それでも仏教を民衆に広めることに尽力して民衆の支持を得た僧です。
また日本人で初めて、仏教の中で一番位の高い僧である(大僧正)となりました。
奈良の大仏を建てる責任者も勤めています。
仏の中でも一番の智慧の持ち主
で、3人寄れば文殊の智慧というように「知」を司る菩薩様です。
様々な智慧で人々を救済する仏様です。
また実在の人物で経典の編纂と体系化を行ったと言われています。
「文殊」とは「素晴らしいお経」という意味だとも言われています。
虚空とは空間のことです。
宇宙のように無限に果てしなく広がる大きな智慧と福徳で、あらゆる願いを叶えると言われています。
民間信仰では、智慧抜けの仏様として信仰されています。
明治政府が布告した神道と仏教を分離させる政策のことを言います。
明治維新の政治的理想である王政復古・祭政一致を具体化しようという宗教政策で、神道を保護し、仏教を抑圧する政策となりました。
そのため神社から仏像や僧像、経巻などが取り壊される、過激な廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)運動へと繋がっていきました。
明治維新直後に神仏分離は行われました。
サルスベリ属ミソハギ科の落葉中高木です。
別名はヒャクジツコウです。
サルスベリという名前は、樹皮が滑らかなために猿も滑り落ちるてしまうことから付けられたそうです。
また花が咲く期間が長いことからヒャクジツコウ(百日紅)とも呼ばれています。
材質は硬くて重いために、線路の枕木などに使われています。
鎌倉時代の真言律宗の僧です。
社会事業家でもあります。
貧しい人やハンセン病患者などの社会的弱者の救済や道路・橋を造る、などにも尽力されていたそうです。
全ての宇宙を表現したものが大日如来だと言われています。
そして全ての他の仏様は、大日如来が姿を変えたものだとも言われています。
そのため宇宙のあらゆるものを救うとされています。
中国の神様です。
七福神の中で唯一もともと人間だった神様です。
御利益:良縁、夫婦円満、子宝、
大きなお腹が特徴です。
もともと中国の実在の僧で、契比(かいし)という名の僧の説が有力です。
堪忍と和合を教える神です。
常に袋を背負っていたことから布袋と呼ばれるようになったそうです。
文化財保護法に基づいて文部科学大臣が指定する歴史上重要な事件や施設などのあった場所を言います。
(貝塚、城跡、集落跡、古墳、などの遺跡)
国宝・・・
文化財保護法に基づいて国(文化科学大臣)が①建造物、②美術工芸品、③文書などの3分野のうち、価値が高く保護すると判断したものを重要文化財と言います。
これら重要文化財の中でも特に価値が高いものを国宝と言います。