定休日 | 無休 |
お詣り時間 |
①6:00~21:00(10月1日~3月31日) |
押してみてください
ご神祭 |
応神天皇(おうじんてんのう) |
御利益 | 勝負、仕事、出世、安産、縁結び |
1180年に源頼朝は,今まで源氏の氏神様として祈願していた京都にある”石清水八幡宮の分霊”を、新たに鎌倉の地へ”分霊を移して祀りました。
ところが鶴岡八幡宮の本宮を移すために”丸山稲荷社は場所をゆずり、丸山稲荷社を今ある山の上へと遷した”と言われています。
明治時代、神仏分離により多くの鶴岡八幡宮にある仏堂が撤去されたと言われます。
(神仏分離について知りたい方はココをPUSH)
八幡様の使いである”白い鳩”を境内のあちこちで見ることができます。
また楼門に掲げられた額に書かれている”八の字”をよく見ると”鳩の形”(鳩の向き合う形)をしています。
(①大分県の宇佐神社、②京都府の石清水八幡宮、③鎌倉の鶴岡八幡宮あるいは③福岡県の筥崎宮:はこざきぐう)
相模国の”一宮”です。
(一宮について知りたい方はココをPUSH)
国の重要文化財です。
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Ⓑ9月14~16日の3日間かけて行われる「例大祭」は大きなお祭りです。
(感染病や台風などのおそれのない通常時にある予定です)
例大祭の最終日に行こなわれる”流鏑馬神事”は有名です。
Ⓒ「ぼんぼん祭」は、毎年8月の立秋の前日から9日までの”3日間あるいは4日間”にかけて行われます。
鎌倉の中心に位置する鶴岡八幡宮は、強い龍脈の山に3方を囲まれていると言われます。
パワースポットです。
ご祭神 | 後鳥羽天皇、土御門天皇、順徳天皇 |
御霊を鎮めるために祀られました。 |
”後鳥羽上皇”の祟りを恐れて建立されました。
後鳥羽上皇の死後、鎌倉幕府の重鎮が次々急死するなど怪奇な事件が多発したと言われます。
国の重要文化財です。
”樹齢が1000年”と言われる”イチョウの御神木”です。
(イチョウについて知りたい方はココをPUSH)
倒れた御神木の幹を切断したところ、一年後に切断した幹から芽が出てきたそうです。
そのため再生と生命力のパワースポットと呼ばれるようになりました。
今も芽は成長しています。
旗上弁財天(鎌倉七福神の弁財天を祀っている神社)の裏にあります。
”源頼朝”が妻の”政子”の安産を祈ったと言われる石です。
別名「姫石」とも呼ばれています。
「安産」、「縁結び」の御利益があると言われています。
ご祭神 |
⓵ 多紀理毘売命 (たぎりびめのみこと)、② 市寸嶋比売命 (いちきしまひへのみこと)、⓷ 多岐都比売命 (たぎつひめのみこと) |
御利益 | 商売繁盛 智慧、財福、戦勝、子孫繁栄、音楽、技芸、弁舌 |
(弁財天について知りたい方はココをPUSH)
弁財天は”神仏習合”により神道で美人と人気のある市寸嶋比売命(いちきしまひへのみこと)に取り込まれて”神道の神様”ともなりました。
(神仏習合について知りたい方はココをPUSH)
現在、弁財天は鎌倉国宝館にいらっしゃるそうです。
鎌倉国宝館について調べました
布製の着物を着ている”裸形彫刻の弁財天像”です。
国の重要文化財
(国の重要文化財について知りたい方はココをPUSH)
1221年承久の乱の時に、源頼朝が”必勝祈願の出陣の旗揚げ”を旗上弁財天社で行ったと言われています。
そのため北条政子(源頼朝の妻)は、”源氏が勝つことを願って”源平池を造りました。
そして”弁財天社を建てた”と言われています。
1980年に今ある神社は「鶴岡八幡宮創建800年記念」として再建されたものです。
江戸時代の文政年間の古図にならって復元されました。
源平池の右側にある”東の池の中(源氏池)”に、「旗上弁財天社」があります。
Ⓐ右にある池は、「源氏池」です。
Ⓑ左にある池は、「平家池」です。
かつてⒶ源氏池には源氏の旗の色である白旗のような”白い蓮の花”が、
Ⓑ平家池には平家の旗の色である赤旗のような”赤い蓮の花”が咲いていたそうです。
今は両方の池で”赤や白の蓮の花”を見ることができます。
4月頃に”桜”が咲きます。
また源氏池には藤棚もあり、”紫色の藤”が5月上旬に咲きます。
そして7月中旬から8月くらいに”蓮の花”が咲きます。
祭り (台風や感染病などの恐れのない平常時に行われます)
①祭りは、”弁財天の縁日である巳(み)の日”にあります。
②例大会は、”弁財天の縁日の中でも4月の初巳の日”にあります。
ご祭神 |
倉稲魂神(うかのみたまのかみ) |
御利益 | 五穀豊穣、産業興隆、商売繁盛、家内安全、芸能上達 |
”鶴岡八幡宮の中”にあります。
本宮は国の重要文化財に指定されています。
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”鶴岡八幡宮の中で一番古い神社”です。
ところが鶴岡八幡宮の本宮を移すために”丸山稲荷社は場所をゆずり、丸山稲荷社を今ある山の上へと遷した”と言われています。
赤い鳥居や赤い旗がたくさんあり、稲荷神社に来た雰囲気をあじわえます。
祭り(台風や感染病などの恐れのない平常時にあります)
①「例祭」が”4月9日”に行われます。
②「火焚祭」が”11月8日”に行われます。
③「初牛祭」が”2月の初午の日”に行われます。
ご祭神 | 源頼朝 、源実朝 |
御利益 | 学業成就、必勝祈願 |
1200年に源頼朝の妻の”北条政子”が鎌倉幕府初代将軍”源頼朝を祀って”建てた神社です。
その後に、鎌倉幕府3代将軍”源実朝”も併せて祀りました。
鶴岡八幡宮の末社です。
これは”源氏の代表的な家紋の一つ”です。
”黒塗りの社殿”が特徴的です。
”唐破風”というまるい山のような形をした梁を見ることができます。
「微小な身の育ちでありながら天下をとったのは、御身と吾だけである。
しかし、御身の先祖は関東で威をはり、挙兵すれば多くの兵が従い天下をとるのも容易であったろうが、吾は名もない卑属から天下をとったのだから、吾の方が出世頭である。」
「御身と吾は天下友達である」
このように言ったと伝えられています。
お祭り (台風や感染病などの恐れのない平常時にあります)
① 「例祭」が5月28日にあります。
② 「実朝祭」が8月9日にあります。
③ 「文墨祭」が10月28日にあります。
白旗神社の前にある、”2つの石”です。
そのため、”めでたい石”と言われています。
触れるだけでも開運があると言われています。
源義経の妻”静御前”(しずごぜん)が源義経を慕う歌を歌いながら舞を踊ったとされている場所です。
源頼朝は源義経の妻の静御前に舞殿で舞うよう命じたところ、静御前は頼朝が腹を立てるのを覚悟で夫の源義経を慕う歌を歌いました。
すると源頼朝の妻・”北条政子”が、「私も静御前の立場なら同じことをする」とかばい源頼朝の怒りを鎮めて静御前の命を助けたと言われています。
4月の第2日曜日に「静の舞」と言われる舞いが行われます。(台風や感染病などの恐れのない平常時)
舞殿で行われる祭事(台風や感染病などの恐れのない平常時)
手斧始式 | 1月4日 |
除魔神事 | 1月5日 |
節分祭 | 立春の前日 |
貢詠披講式 | 3月最終の土か日 |
静の舞 | 4月第2日曜日 |
菖蒲祭 | 5月5日 |
大祓(おおはらえ) | 6月30日と12月31日 |
七夕祭 | 7月7日 |
”遥拝所”とは、離れた場所にある神様仏様を拝むために設けられた場所です。
”鶴岡八幡宮が一番初めに建てられた場所”にある神社です。
そのため、鎌倉と源氏の”始まりの地”とも言えます。
平安時代、源氏の祖先の源頼義(みなもとのよりよし)が、東北の戦に勝利したため、日本三大八幡の一つである京都の石清水八幡宮の分霊(神様)を由比若宮へ分けてもらいました。
その後、源頼朝が由比若宮の分霊(神様)を”今ある鶴岡八幡宮の場所”へと移したため、元鶴岡八幡宮と言われるようになりました。
住所:鎌倉市材木座1-7
鎌倉駅東口から歩いて約15分の所にあります。
6月には”蛍”を見ることができる「蛍放祭」があります。
9月には"鈴虫”を見ることができる「鈴虫放生祭」があります。
昔は柳の名所だったそうです。
二つの池の間には「太鼓橋」が掛けられています。
右にあるのは”源氏池”、左にあるのは”平家池”です。
これは源頼朝の妻・北条政子が源氏の勝利を祈り、Ⓐ源氏池の島の数を”3”(さん)置くことで「産:さん」つまりこれから源氏が栄えることを期待し、Ⓑ平家池の島の数を”4”(し)置くことで「死:し」つまり平家の滅亡を願って造らせたと言われています。
かつてⒶ源氏池には源氏の旗の色である白旗のような”白い蓮の花”が、Ⓑ平家池には平家の旗の色である赤旗のような"赤い蓮の花”が咲いていたそうです。
今は両方の池で赤や白の蓮の花を見ることができます。
夏は7月中旬から8月くらいまで”蓮の花”が咲きます。
また源氏池には藤棚もあり”紫色の藤”が5月上旬に咲きます。
鎌倉のお寺や神社から”彫刻”や”絵画”、”仏像”、”工芸”などの文化財を預かって保管しています。
たくさんのこれらの重要文化財の一部を展示しています。
そしてたくさんの文化財を一度に見れる場所でもあります。