定休日 | 無休 |
お詣り時間 | 9:00 ~ 16:00 本尊は公開されていません※”10名以上”から予約をしてお詣りすることができます |
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「戌年生まれ」を護ってくれる阿弥陀如来がいらっしゃいます
「亥年生まれ」を護ってくれる阿弥陀如来がいらっしゃいます
「午年生まれ」を護ってくれる勢至菩薩がいらっしゃいます
本尊 (ほんぞん) |
阿弥陀如来
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宗派 | 時宗 |
開基 (寺を建てる時に経済支援をした人あるいは知名度があり力を貸した人) | 一遍 (いっぺん) |
開山 (初めてお寺を開いた僧、初代住持職) | 作阿 (さくあ) |
山号 (お寺の名称の前にくっつける名前のことです) | 岩倉山 (いわくらさん) |
春 | ふじ(4~5月) |
夏 | いわたばこ(5~6月)、はなしょうぶ(6月) |
秋 | ひがんばな(9~10月)、ほととぎす(9~10月) |
冬 |
札所 | 鎌倉33観音7番 | 観世音菩薩 | 「本堂」にいらっしゃいます (観音菩薩について知りたい方はココをPUSH) |
鎌倉24地蔵5番 | 塩嘗地蔵 | 「地蔵堂」にいらっしゃいます (地蔵菩薩について知りたい方はココをPUSH) |
1278年に開基(寺を建てる時に経済支援をした人あるいは知名度があり力を貸した人)の”一遍”が、初代住職に”作阿(さくあ)”を招いて念仏のお寺(光触寺)を建てました。
時宗を初めて説きました。
通称は円照大師(えんしょうたいし)、証誠大師(しょうじょうだいし)です。
念仏札”を人々に配る”遊行”と”踊り念仏”を行い布教しています。
一遍に師事していました。
”焼頬阿弥陀とも呼ばれています”
”運慶の作と伝えられています”
(運慶について知りたい方はココをPUSH)
”国の重要文化財です”
(国の重要文化財について知りたい方はココをPUSH)
②「観音菩薩」がいらっしゃいます
(観音菩薩について知りたい方はココをPUSH)
”快慶(かいけい)の作と伝えれらています”
(快慶について知りたい方はココをPUSH)
”国の重要文化財です”
③「勢至菩薩」がいらっしゃいます
(勢至菩薩について知りたい方はココをPUSH)
”湛慶(たんけい)の作と伝えられています”
(湛慶について知りたい方はココをPUSH)
”国の重要文化財です”
④ 「聖観世音菩薩立像」がいらっしゃいます
”平安時代の作と言われています”
”鎌倉33観音・第7番です”
”公開されていません”
⑤ 「阿弥陀如来の仏頭」がいらっしゃいます
(阿弥陀如来について知りたい方はココをPUSH)
”元・大慈寺の丈六堂の本尊だったと言われています”
”厨子(ずし:阿弥陀如来を収納している仏具)は、足利 持氏(あしかが もちうじ:室町時代の関東管領)から贈られたものだと言われています”
※本尊の拝観は、”10名以上”から見ることができます。
予約が必要です。
光触寺にあります絵巻「頬焼阿弥陀縁起:ほおやけあみだえんぎ」によりますと・・・
鎌倉時代、将軍に呼ばれて鎌倉に来ていた”運慶”は、町局(まちのつぼね)という裕福な女性に頼まれて阿弥陀三尊像を造りました。
ある時、町局に仕えていた万歳法師という名の僧が盗みの疑いをかけられてしまいます。
そして万蔵法師は罰として町局に頬へ焼き印を押されてしまいます。
しかし、頬には焼き痕が残りませんでした。
すると町局の夢に阿弥陀如来が現れて「なぜ、私の頬に火印を押すのか」と言われたそうです。
そのため町局は阿弥陀如来を確認してみると、頬に焼き痕が残っていたと言われています。
その後、町局は出家して岩蔵寺という名のお寺を建てて、阿弥陀三尊像を祀ったと伝えられています。
盗みの疑いをかけられた法師の代わりに、ほほを焼かれたという伝説から頬焼阿弥陀と呼ばれるようになったと言われています。
1804~1818年に村民が作ったと言われています。
当時は”茅葺き”(かやぶき)で作られた三門だったそうですが、今は”瓦ぶき”(かわらぶき)で作られた三門になっています。
一遍(いっぺん)・・・ 鎌倉時代の僧です。
時宗を初めて説きました。
(一遍について知りたい方はココをPUSH)
(地蔵菩薩について知りたい方はココをPUSH)
そのためお地蔵さまが舐めたのだろうと言われるようになり、塩嘗地蔵と伝えられるようになりました。