定休日 | 無休 |
お詣り時間 | 9:00 ~ 17:00 本尊は公開されています |
押してみてください
「子年生まれ」を護ってくれる千手観音がいらっしゃいます
本尊 (ほんぞん) |
釈迦如来
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宗派 | 臨済宗円覚寺派 |
開基 (寺を建てる時に経済支援をした人あるいは知名度があり力を貸した人) |
夢窓疎石(むそうそせき) |
開山 (初めてお寺を開いた僧、初代住持職) | 二階堂道蘊(にかいどうどううん:鎌倉幕府の重鎮) |
山号 (お寺の名称の前にくっつける名前のことです) | 錦屏山(きんびょうざん) |
東国花の寺百ヶ寺 鎌倉4番 (鎌倉随一の花の寺と言われています) |
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春 |
しょかつさい(3~5月)、さくら(3~4月)、 ゲンゲ(れんげそう)(4~5月)、つつじ(4~5月) ふじ(4~5月)、はくうんぼく(5~6月)、あじさい(5~7月) |
夏 | ききょう(7~8月)、はんげしょう(6~7月)、はぎ(7~9月)、ふよう(8~10月)、けいとう(7~11月) |
秋 | しゅうめいぎく(9~10月) |
冬 | すいせん(1~3月)、つばき(12~4月)、うめ(1~3月)、もみじ(11~12月),ふゆざくら(10~12と4月) |
札所 | 鎌倉観音・第6番 | 千手観音 | (千手観音について知りたい方はココをPUSH) |
鎌倉地蔵・第7番 | どこも苦地蔵 | (地蔵菩薩について知りたい方はココをPUSH) |
1327年(鎌倉時代)に建てられたお寺です。
鎌倉幕府の重臣・二階堂道蘊(にかいどうどううん)が”夢窓疎石”(むそうそせき)を初代住職として招き建てました。
”2層屋根の建築様式”です。
足利基氏(あしかがもとうじ:室町幕府初代将軍・足利尊氏の4男)が”夢窓疎石”に帰依(信仰を仰ぐこと)していたために、瑞泉院という寺の名前を瑞泉寺へと変えました。
またこれ以降、鎌倉公方足利家(かまくらくぼうあしかがけ)の菩提寺となったと言われています。
(菩提寺について知りたい方はココをPUSH)
(1275〜1351年)は”臨済宗の禅僧”です。
「枯れ山水の生みの親」と言われています。
また”作庭家”・”漢詩人”・”歌人”です。
①円覚寺、南禅寺、浄智寺など五山(禅の一番上の格にあるお寺)の住職に”8度”なりました。
また天龍寺、恵林寺、西芳寺などお寺を”6つ”造りました。
そして造ったお寺にそれぞれ庭園をつくりました。
②夢想疎石は鎌倉時代に”北条高時”から、南北朝時代に”後醍醐天皇”や”足利尊氏”と弟の”足利直義”から深く尊崇されました。
公家の後醍醐天皇、武家の足利氏の帝ら南北両朝から国師の号(高僧の尊称)を”7つ”賜りました。
これにより世に〈七朝の帝師〉と称えられました。
③”禅庭・枯山水を生み出した作庭家”として世界でも有名です。
美濃の虎渓山永保寺、甲斐の恵林寺、京の天龍寺、西芳寺の庭園、鎌倉の瑞泉寺庭園、など国の特別名勝・名勝に指定されています。
④”漢詩人”でも有名です。
和歌・勅撰和歌集に11首作品が載っています。
(釈迦如来について知りたい方はココをPUSH)
②「千手観音」がいらっしゃいます
(千手観音について知りたい方はココをPUSH)
徳川家光(水戸黄門のモデル)が寄付した千手観音座像がいらっしゃいます。
鎌倉観音・第6番です。
”夢窓疎石座像”(むそうそせき)があります。
南北朝期(鎌倉時代と室町時代の間)の作品です。
国の重要文化財です。
(国の重要文化財について知りたい方はココをPUSH)
すると枕元に「どこも苦地蔵」が現れたそうです。
そして「どこも苦」と諭しました。
僧は”苦しいのはどこもお同じ”と悟り、地蔵堂を守り続けたと言われています。
鎌倉地蔵・第7番です。
本殿の裏にあります。
”禅の思想”に基づいてつくられたこの庭園は、書院庭園の起源とも言われています。
大きな洞窟は”天女洞”(てんにょどう)と呼ばれています。
むかし”水月観道場”と呼ばれていて修業をする所だったそうです。
国の名勝に指定されています。
崖の上から見る石庭もすばらしいです。
石庭の山の上に、”夢窓疎石が建てた建物”です。
鎌倉五山(鎌倉にある禅宗の格の高い5つのお寺)の僧が集まって、詩を読んでいたと言われます。
今ある建物は1935年に建てられたものです。
公開はされていません。
花言葉は「恩恵」、「優美」です。
(黄梅について知りたい方はココをPUSH)
市の天然記念物です。
”徳川家光”が植えた冬桜だと言われています。
花言葉は「冷静」です。
(冬桜について知りたい方はココをPUSH)
市の天然記念物です。
文学者のゆかりのある寺でもあります。
②久保田万太郎の句碑があります。(日本の小説家です。劇作家、俳人で、作品に「短夜」、「太寺学校」等があります。)
③吉田松陰の留跡碑があります。(吉田松陰が江戸へ向かう途中に、住職をしていた叔父の瑞泉寺を訪れたそうです。)